第三回「夏目漱石」‐ 煎茶をウマイと思って嗜む3

株式会社かねも 相談役 角替茂二

―――――のどこし
「猫」に迷亭がそばを食う場面がある。「此長い奴へツユを三分の一つけて、一口に飲んで仕舞ふんだね。噛んぢゃいけない、噛んぢゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込む所がねうちだあ。」と講釈を云っている。所謂のどこしである。味と匂いの科学者栗原堅三氏は、ビールの味はのどこしにあると云われ、のどから食道上部に味蕾が沢山あって水に応答すると説明されている。(岩波新書、味と香りの話)
 素人にも大変分かり易い。お茶の場合ものどこしは大切だが、匂いや滋味がなくては話にならない。お茶は心の飲み物だから。心に訴えるものが欲しい。

―――――葉茶屋のある風景
今は見ることが出来ないが、葉茶屋ののどかさを「野分」の中で巧みに描いている。実に見事な写生文だと思う。
「ぽつりぽつりと折々降ってくる。初時雨と云ふのだらう。豆腐屋の軒下に豆を絞った殻が、山の様に桶にもってある。山の頂がぽくりと向けて缺けて四面から烟が出る。風に連れて烟は往来へ靡く。塩物屋に鮭の切身が、澁びた赤い色を見せて、並んで居る。隣に、しらす干しがかたまって白く反り返る。鰹節屋の小僧が、一生懸命に土佐節をささらで磨いてゐる。ぴかりぴかりと光る。奥に婚礼用の松が真青に景気を添へる。葉茶屋では丁稚が抹茶をゆっくりゆっくり臼で挽いてゐる。番頭は往来を睨めながら茶を飲んでゐる。」(全2P747)

―――――漱石の飲食物
西洋渡航中の船の中でも、ロンドンでも「茶漬けと蕎麦を食い度く候」と云う手紙を書いている。又、寺田寅彦外遊の時、餞別として飲食物では鰻の缶詰、茶、海苔等を與えている。謡曲の宝生新氏は、「先生はお蕎麦が好きでしたね」(月報327)と云う。これらを推察すれば、豊隆氏の云う通り、漱石は日常生活、趣味の生活においては決然とした日本人であったと言えよう。
けれども「文士の生活」の中では次のように答えている。

「食物は酒を飲む人のやうに淡白な物は私には食へない。私は濃厚な物がいい。支那料理、西洋料理が結構である。日本食などは食べたいとは思はぬ。犬も此支那料理、西洋料理も有る食通と云ふ人のやうに、何屋の何で無くてはならぬと云ふ程に、味覚が発達しては居ない。幼稚な味覚で、油っこい物を好くと云ふ丈である。酒は飲まぬ、日本酒一杯位は美味いと思ふが、二三杯でもう飲めなくなる。
其の代り菓子は食ふ。これとても有れば食ふと云ふ位で、態々買って食ひたいと云ふ程では無い。」
必ずしも当時の日本人的生活とは云えない。長女の松岡筆子さんは、特に夜の食事はロース四半斤のスキ焼きが主体で、朝は紅茶とパンであったと記している。この点お手伝いの山田房子さんも同じことを述べている。(月報P202)
兎に角夕食はよく牛肉を食べていたらしい。
明治四十一年、鈴木三重吉宛に「……四十二の厄から生活組織一転日々紅茶一碗を口にするのみ。それでも童顔ピンピンして健康少年を凌ぐとか何とか厚生の史家に書いて貰はうと思って居る。」と書いてあるが、毎朝の紅茶は確実である。此点、後の芥川も直哉も同様である。必ずしも日本人的であった訳ではない。
明治四十一年四月、読売新聞のアンケートに応えて、
「好む飲料は別段無之候。只朝毎に塩水をコップに一杯飲み候。人がやって見ろと申した故に候。処がやって見ろと申す程の効能も無之様子故、近々やめやうかと考慮候。」
と記しているが、朝日の漱石、読売に少々ふざけた回答を寄せたのかも知れない。紅茶も出てこないのである。

―――――漱石の俳句
漱石は明治二十八年、松山で子規と同居中句作に熱中した。茶に関係した句として次のようなものがある。

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茶の花や白きが故に翁の像  (明二十八)
芭蕉忌や茶の花折って奉る  (〃)
炉開きに道也の釜を贈りけり (〃)
炉開きや仏間に隣る四畳半  (〃)
口切や南天の実の赤き頃   (〃)
口切にこはけしからぬ放屁哉 (〃)
堆き茶殻わびしや春の宵   (明二十九)
茶煙禅榻外は師走の日影哉  (〃)
郭公茶の間へまかる通夜の人 (明三十)
寒菊や京の茶を売る夫婦もの (明三十二)
茶の会に客の揃はぬ時雨哉  (明三十二)
茶の花や長屋も持ちて浄土寺 (〃)
小春日や茶室を開き南向   (〃)
水仙や髯たくはへて賣茶翁  (〃)
梅の香や茶畠つづき瓜上り  (〃)
梅林や角巾黄なる賣茶翁   (〃)
茶の花や黄檗山を出でて里余 (明四十)
茶の花や智職と見えて眉深し (明三十四)
茶の花や読みさしてある楞伽経(〃)
茶の木二三本閑庭にちよと春日哉(大三)
賣茶翁花に隠るる身なりけり (〃)
四つ目垣茶室も見えて辛夷哉 (〃)
春惜しむ茶に正客の和尚哉  (〃)

以上全集の中の茶に関する句、漱石俳句の研究書として、寺田寅彦、松根寅次郎、小宮豊隆の漱石俳句研究があるが、小室善弘「漱石俳句評釈」が最も懇切丁寧である。然しその中に、とりたてて茶についての句は見当らない。
“茶の花や黄檗山を出でて里余”は昭和初期、筆者旧制中学二年頃の教科書にあったと記憶している。懐かしい。

―――――漱石の漢詩
漱石は晩年、道草以降は気分転換の為、漢詩を多くつくった。茶に関するものは僅かしかないが、五言絶句一、七言律詩四を記してみる。
漢詩はむつかしいので、吉川幸次郎氏の漱石詩注で勉強させて頂いた。
尚、之も余談ではあるが漱石は後年軍神と云われた広瀬中佐の「七生報国、一死心堅、再期成功、含笑上船」は漱石の漢学の素養が許し難かったのだろう。若い頃、さすがの子規も漱石の漢詩には舌を巻いたと云われている、吉川幸次郎氏も絶讃される訳である。

題自畫      自画(じが)に題(だい)す     (大正四年)
机上蕉堅稿    机上(きじょう) 蕉堅稿(しょうけんこう)
門前碧玉竿    門前(もんぜん) 碧玉(へきぎょく)竿(かん)
喫茶三碗後    喫茶(きっさ)三碗の後
雲影入窓寒    雲(うん)影(えい) 窓(まど)に入(い)って寒(さむ)し

無題 九月二十三日    無題(むだい)   (大正五年)
苦吟又見二毛斑 苦吟(くぎん) 又(また)見(み)る二毛(にもう)の斑(まだら)なるを
愁殺愁人始破願 愁人(しゅうじん)を愁殺(しゅうさつ)して 始めて(はじ)破(は)願(がん)す
禅榻入秋憐寂寞 禅榻(ぜんとう) 秋(あき)に入(い)りて 寂寞(せきばく)を憐(あわれ)み
茶烟對月愛蕭閒 茶(ちゃ)烟(けむり) 月(つき)に対(たい)して 蕭(しょう)閒(かん)を愛(あい)す
門前暮色空明水 門(もん)前(ぜん)の暮(ぼ)色(しょく) 空(くう)明(めい)の水(みず)
檻外晴容嵂崒山 檻(かん)外(がい)の晴(せい)容(よう) 嵂(りつ)崒(しゅつ)の山(やま)
一味吾家清活計 一(いち)味(み) 吾(わ)が家(いえ)の清(せい)活(かつ)計(けい)
黄花自発鳥知還 黄(こう)花(か) 自(お)のずと発(ひら)き 鳥(とり)は還(かえ)るを知(し)る

無題 九月二十四日    無題(むだい)   (大正五年)
擬将蝶夢誘吟魂 蝶(ちょう)夢(む)を将(も)って吟(ぎん)魂(こん)を誘(いざな)わんと擬(ぎ)し
且隔人生在畫村 且(か)つ人(じん)生(せい)より隔(へだ)りて画(が)村(そん)に在(あ)り
花影半簾来着静 花(か)影(えい) 簾(すだれ)に半(なかば)するは 来(き)たりて静(しず)かさを着(つ)け
風蹤満地去無痕 風(ふう)蹤(しょう) 地(ち)に満(み)つるも 去(さ)って痕(あと)無(な)し
小楼烹茗軽烟熟 小(しょう)楼(ろう) 茗(めい)を烹(に)れば 軽(けい)烟(えん)熟(じゅく)し

無題 九月二十六日    無題(むだい)   (大正五年)
大道誰言絶聖凡 大(だい)道(どう) 誰(だれ)か言(い)う聖(せい)凡(ぼん)を絶(た)つと
覚醒始恐石人讒 覚(かく)醒(せい) 始(はじ)めて恐(おそ)る石(せき)人(じん)の讒(ざん)
空留残夢託狐枕 空(むな)しく残(ざん)夢(む)を留(とど)めて狐(こ)枕(ちん)に託(たく)し
遠送斜陽入片帆 遠(とお)く斜(しゃ)陽(よう)に片(へん)帆(ぽん)の入(い)るを送(おく)る
数巻唐詩茶後榻 数(すう)巻(かん)の唐(とう)詩(し) 茶(ちゃ)後(ご)の榻(とう)
幾聲幽鳥桂前巖 幾(いく)聲(せい)の幽(ゆう)鳥(ちょう) 桂(けい)前(ぜん)の岩(いわ)
門無過客今如古 門(もん)に過(か)客(きゃく)無(な)きは今(いま)も古(いにしえ)の如(ごと)く
燭對秋風着舊衫 独(ひと)り秋(あき)風(かぜ)に対(たい)して旧(きゅう)衫(さん)を着(つ)く

無題 十月二日    無題(むだい)   (大正五年)
不愛紅塵不愛林 紅(こう)塵(じん)を愛(あい)せず林(はやし)を愛(あい)せず
蕭然淨室是知音 蕭(しょう)然(ぜん)たる淨(じょう)室(しつ) 是(こ)れ知(ち)音(いん)
燭摩挙石摸雲意 独(ひと)り挙(けん)石(せき)を摩(ま)して雲(うん)意(い)を摸(も)し
時對盆梅見蘚心 時(とき)に盆(ぼん)梅(ばい)に対(たい)して蘚(せん)心(しん)を見(み)る
塵尾毿毫朱几側 塵(しゅ)尾(び)の毿(さん)毫(ごう)は朱(しゅ)几(き)の側(かたわら)
蝿頭細字紫研陰 蝿(よう)頭(とう)の細(さい)字(じ)は紫(し)研(けん)の陰(かげ)
閑中有事喫茶後 閑(かん)中(ちゅう)事(こと)有(あ)り喫(きっ)茶(さ)の後(のち)
復賃晴暄照苦吟 復(また)晴(せい)暄(けん)を賃(やと)いて苦(く)吟(ぎん)を照(て)らさしむ

―――――終わりに
「煎茶は美味いと思って飲むが、自分で茶を立てる事は知らぬ」
この一句を頼りに、漱石の小説、随筆、日記などの類に目を通してきたが、結果的には徒らに些事にこだわり、横道にそれたような気もする。
然し、煎茶を美味いと思って喫まれた方々ならば、こうした些事と横道の中に、漱石のお茶があることを御理解頂けると信じている。
筆者は既に九十歳、日暮れて道遠しの感があるが、次は鴎外や藤村、芥川、川端の茶に移りたい。

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