第九回 島崎藤村―お茶のミックス2

株式会社かねも 相談役 角替茂二

―――生一本―――合組茶のうまさ
あるところより、日本最古の茶園で製せらるるといふ茶を分けて貰った。日頃茶好きなわたしはうれしく思って、早速それを試みたところ、成程めづらしい茶だ。往時支那人がその實をこの園に携へて来て製法までも傳へたとかいふもので、大量に製産する今日普通の器械製とちがひ、こもかい葉の色艶からして見るからに好ましく、手製で精選したいといふ感じがする。まことに正味の味には相違ないが、いかに言っても生一本で、灰汁が強い。それに思ったほどの味が出ない。わたしは自分の茶のいれかたが悪いのかと気づいたから、丁度茶の道に精しい川越の老母が家に見えてゐるので、この老母に湯加減を見て貰った。香も高く、こくもある割合には、どうも折角の良い茶に味が少ない。自分の家の近くには深山といふ茶の老舗があって、そこから来るものはひごろわたしの口に適してゐるので、試みに買置きの深山を混ぜて見た。どうだらう、實に良い風味がそこから浮かんで来た。その時の老母の話に、茶には香にすぐれたものと、味にすぐれたものとの別がある。一體に暖國に産する茶は香気は高くてもその割合に味に劣り、寒い地方に産する茶は香気には乏しいがこまやかな味に富むといふ。この老母に言はせると、おそらく深山のやうな老舗で売る茶は多年の経験から、古葉に新葉をとりまぜ、いろいろな地方で産するものを塩梅しそれに茶の中の茶ともいふべき『おひした』(味素)を加味して、それらの適当な調合から香もあり味もある自園の特色を造り出してゐるのであらうとの話もあった。
この茶から、わたしは生一本のものが必ずしも自分達の口に適するものでないことを学んだ。生一本は尊い。しかしさういふものにかぎって灰汁が強い。新葉の合いはもとより、古葉をおろそかにしないといふことが好い風味を見つける道であらう。鋭いものは挫かねばならぬ。柔らかいものは大切にせねばならぬ。淡き、甘き、渋き、濃き、一つの茶碗に盛りきれないやうな茶の味がそこから生まれて来る。(全13P180)

―――新葉古茶の合
こんな言葉をかはしてゐるところへ、おまんは隣家の伏見屋から貰ひ受けたといふ新葉を入れて来た。時節柄の新茶は香は高くとも、年老いた人のためには灰汁が強過ぎる。彼女はそれに古茶をすこし混ぜて入れて来たと言って見せるほど注意深くもあった。
「あなた、横におなりなすったら。」とおまんは夫の方を見て言った。「さう坐ってばかりぢゃ、お疲れでせうに。」
「さうさな。それじゃ、寝て話すか。」
吉左衛門とおまんとは最早好い茶呑友達である。この父はおまんが勧めて出した湯呑みを枕もとに引き寄せ、日頃愛用する厚手な陶器の手ざはりを楽しみながら、年をとってますます好きになったといふのにほひをさもうまさうに嗅いだ。(全18P132短夜の頃)

藤村の著作の中で一番感心するのはお茶のミックス(合組)の叙述である。前掲の新茶、生一本、新葉古茶の合でも記したように、いづれも茶のミックスの大切さを文学的に表現したもので、いかにも文学者藤村らしい。
ミックス(合組)は茶の流通業者にとって基本的な問題であり、それぞれそのノレンに恥じない秘伝とも云ふべき方法論を持ってはいるが、年々生産される原料茶は出来不出来がり、他方消費者嗜好にも変化があるので決まり切ったミックスの方式はない。大切なのはお茶屋さんがどのような製品に一種の調和価(?)を見出すかである。匂い、味、水色いづれも等閑にはできない。心にゆとりを持てる茶は何かと云う事である。
然し消費者の中にはミックスをコマーシャルベースで考えそのコスト上の調節だと思いこんでいる方もない訳ではない。だが実際はそんな単純なものではない。言う迄もないが、御茶屋さんにはソロバンの勘定がないと言えば嘘に決まっている。それは確かであるが、ソロバン勘定だけでは消費者から捨てられる事も確実な世の中である。
お茶のミックスに迄気を使われた藤村のような愛好家に大いに敬意を表したい。お茶の世界でも消費者の意見は最も大切なものである。消費者の声が御茶屋さんに届かないようでは何かが間違っている。消費者との対話の中に茶業発展の原動力がある事を忘れてはならない。

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―――生一本―朝茶と朝食
朝茶、小一時間ばかりの朝茶の時がわたしには一日の中の愉しい静坐の時である。
朝食。毎朝簡単に茶碗で済ませる、一ころはオート・ミイルを試みたこともあったが、どうしたものか町で売る品も粗悪なものばかりになって、だんだん自分の口には適しなくなった。茶碗二椀、牛乳一合、その用ゐ方は殆どオート・ミイルの場合と同じだ。これがまたわたしの好物の一つだ。奈良の方の寺では茶粥に里芋をまぜるといふ話をある人から聞いて、それを試みたことがあるが、少し味が重くなるかと思ふ。野菜のスープに焼き昆布を入れて造ることは私の思ひ付きだが、そんなものでもあれば朝の食事は一層楽しい。
(全13P230桃の雫)

―――旅中の朝茶
こんな旅み来てもわたしは朝茶をやるのが何よりの楽しみにして、國から持って来た緑茶の残り少なくなったのを取り出し、独りで湯なぞを沸かしてそろそろ家内の起き出して来るのを待った。(全14P192ラプラタ河の旅情)

―――呼び茶
お茶が眠けざましであることは、「酒飲めばいとど寝られぬ夜の雪」こんな句を残した友人もあるが、さういう眠りがたい夜に限って自分は呼び茶をする。すると益々寝られなくなる。(全13P208桃の雫)
又アンゼンチンの旅の中で「尤もこんな旅に来たためばかりでなく、國にゐる時分から私は深夜に目がさめて、茶なぞ沸かしながら独りで起きてゐることはよくある。その晩も呼び茶をしながらますます寝られなかった。(全14P197巡礼)

朝茶が大好きで、茶粥も口にする。旅行中でも茶を忘れず、夜は眠れなくても呼び茶をする。文学上の好悪を別にすれば藤村は茶業界にとって大変有り難い人と言うべきではないか。

―――水の考察
京・奈良の水
一帯に京都、奈良地方に水清く、茶うまし、宇治川の清き流也(全14P424雑記帳)
巴里の水
北米ワシントンの方で求めて来たピクニック用の湯沸かし器は簡単に組み立てられ、携帯に便利で、旅には重宝した。巴里へ来てからもそれで茶を煮てみた。行く先でその土地土地の水質を私に教えて呉れるのも日本茶だ。巴里は飲用水に不自由なところで、この都会に住むものは水を買って飲む。礦泉を食卓に備へるとか、少量なりとも葡萄酒を水に割って老人から子供までそれを用ふるとかの習慣は、いづれも水質の硬く、荒い所から来る。
それで入れた緑茶が香ばしい山吹色に出る筈もなかった。味も好くない。聞いて見れば、この都会の水道口から溢れて来る水はそのまま風呂にも沸かしがたく、髪も硬ばり、洗ひ物も乾き過ぎ、殊に皮膚の弱いものなぞには何かの薬品でそれをやはらげる必要があるといふ。ここの婦人髪を洗った後で酸性の液をふりかけて置くと聞くにも驚く。こんな事は諸國の水で茶を煮て見てからわたしも気がついた。以前に仏蘭西の旅に来た頃はわたしもそれほどには思はず、親から貰った自分の髪の毛が毎朝のやうに抜けて心細いほど洗面器に落ちるのを見ても、困難を極めた異郷の旅のためか、それとも四十だるみの年のせゐかぐらゐに、ほんの無造作に考えてゐたし、また當時巴里で懇意になった美術家諸君が血気さかんな年頃の人達であったにかかはらず、いづれも國の方にある日のやうな血色もなく、どうして在留の日本人はこんな土のやうな悪い顔色のものばかりかと言ひ出す人があり、中には鏡を見るのもいやになったと嘆息する人があっても、わたしは左程気にも掛けなかった。今になって見ると、あの沢山な抜け毛も、悪い血色も、それらは皆この地方の水質に不注意なための結果ではなかったらうかと思はれないでもない。天の配剤は妙なもので、あたかも魚類その他の食料品に不自由した往時の京都に反って日本の料理法が発達し、河には遠い北京のやうなところに反って日本の支那料理が発達したやうに、これほど水で苦労する巴里には香油、香水、石鹸、その他化粧品の類が世界に名を知られるほど発達したといふのも偶然ではないことを知る。(全14P296巡礼、フランス雑記の一)
巴里の水の硬さは周知の通りであるが藤村の時代と雖も話は少々オーバーではなかろうかと思う。

ニューヨークの水
町に出て、往来の群集の中にまじる夕方ばかりか、旅の心をさかんにするとはかぎらない。どうかすると、わたしは旅の心をさかんにしようとして反って自分の旅館の部屋に隠れ独り茶なぞを煮ることもあった。茶で思ひ出す。南阿弗利加弗、南亜米利加諸地方での水の質をわたしに告げて呉れるのも、国を出る時から手ばなせなかった好きな日本茶だ。喜望峰付近の水は殊に荒く、硬質で、それで入れた緑茶は色黒ずみ、味も渋い。船中の飲用水が割合に味も変わらず、長い航海に腐敗もしないのは、波の上の動揺のためであると聞く。南米ブラジルを去る頃、何よりの楽しみにして國から持って来た茶も追々残りすくなくなり、しまひいはそれも尽きて、いよいよわたしも茶はあきらめたとAクンに話したところ、そいつはかはいさうだと同君に言はれたことを覚えてゐる。紐育まで来て、朝日支局のI君から日頃の好物を分けて貰った時の私の喜びは。それに、ここの水が茶をうまく飲ませる。これまで遍暦してきた諸地方のうち、水質の清くやはらかいことにかけては、紐育は東京に劣らない。(全14P283北米雑記)

水の博士小島貞男氏はニューヨークの水は東京の水より軟水である。ロスやラスベガスは硬水だがと記している。(水の研究)

―――童話の中のお茶をつくる家
雀がお父さんのお家へ覗きに来ました。丁度お家ではお茶をつくる最中でしたから、雀がめづらしさうに覗きに来たのです。
『お前さんのお家ではお茶をつくるんですか。』
と雀は言ひますから、
『ええ、私の家ではお茶を買ったことが有りません。毎年自分の家でつくります。』
と父さんが話してやりました。その時、父さんが雀に、あの大きな釜の方を御覧と言って見せました。そこではお家で取れたお茶の葉を煮てゐる人があります。あの莚の上を御覧と言って見せました。そこではお釜から出したお茶の葉を広げて団扇であふいで居る人があります。あの焙炉の方を御覧と言って見せました。そこでは火の上にかけたお茶の葉を両手で揉んで居る人があります。
『チュウ、チュウ』
とめづらしいことの好きな雀が鳴きました。そしてめづらしいことでさへあれば、雀は喜びました。
お家では祖母さんや伯母さんやお雛までが手拭いを冠りまして、伯父さんや爺やと一緒に働きました。近所から手伝いに来て働く人もありました。好のお茶の香りがすると、家中でみんな働いて居るので、父さんも雀と一緒にそこいらを踊って歩きました。(全9P294ふるさと)

たいがいの物は家で手造りにしました。お茶も家で造りましたし、糸も家で染めました。(全10P423力餅)

―――お茶と煙草
徳田秋声との座談、仕事をする時に
煙草をあまり喫まれちゃいけないのぢゃないですか。島崎 いけないですね。しかし酒よりいいからね。煙草を喫むとお茶も呑みますよ。煙草だけで、茶を呑まないといけないですからね。(別上P454)
とお茶が煙草の毒消し的効果があるかの如く話している。
この点静岡薬大の林博士は、煙草をよく飲む人は肌の色艶がよくない。それは喫茶によるビタミンCの不足がある程度関係しているのではないだろうか……お茶のタンニンはニコチンのようなアルカロイドとかタールのような発ガン性物質と結合して吸収されないようにするので、煙草とお茶もコンビニにして常用すれば、危険性はかなり低くなるのではなかろうか。(林栄一教授「お茶は妙薬」P163)

―――藤村記念館
筆者に馬篭の記念館に両三度脚を運んだ事があるが、その陳列ケースの中に藤村愛用の湯飲み茶碗があった。分厚い寿司屋で使うような紺のすてきに感じのよい湯呑みであった。之ならば熱い湯で出した煎茶はすこぶるうまく頂けただろうという感じであった。暫時足を止めて眺めていた。後日牧野さんと言う女性職員の方から「これは宮本憲吉の作品で毎日使っていたか分かりませんがよく使われたようです」とご連絡を頂いた。

藤村は煎茶を生活の中の活力素として生きられた様な感じである。
水についても観察が鋭い。私は明治大正の作家の中で最もお茶を愛した人であると思っている。

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