第十回 野上弥生子――茶三昧賢く生きる1

株式会社かねも 相談役 角替茂二

―――老いの生き甲斐
老人大国日本では高齢者の医学に関する解説書が次々に出てくる。医学に素養のない者にとっても有難い話なのだが、なかなか六ヶ敷理解しがたい思いがする。二昔くらい前のこと、筆者が吉川政己氏の「老いと健康」(岩波新書)の中の分かりやすい部分を拾い讀みした事がある。今でも記憶している事は“人間が老いに勝つ事は出来ないが、賢く老いる事は出来る”という言葉、そしてその実例として女流作家野上弥生子の生涯を譽げられていた。ドクター吉川は、野上女史の八十歳から九十九歳迄、実質的な主治医をつとめられ、二十年間に亘る女史の内臓に関する血液検査のデータをかなり詳細に公表されている。勿論御遺族御承認の上ではあるが。高齢者にとって何よりの参考数字である。其の上氏は彼女が嗜好品としての抹茶を、毎朝二服、長期間服用された事が創作上の薬理的刺激になっていたと指摘、強調されている。之はすごいではないか。茶に関係する者にとっては見逃せない言葉である。九十九歳迄書き讀けた女史のたゆみない、ゆるぎない創作活動の原動力が毎朝の二服のお茶にあったとするならば、益々増えゆく高齢の知的作業者に、今より変わった角度からのアプローチや、問い掛けがありはしないか等を考えてみる。もっとも「大人の絵本」などで知られている宇野千代女史のように艶話ばかりが多くて、茶には余り縁がなかったと思われる作家の場合もある。彼女は九十五歳で「或る小石の話」をものされ、その中で瑞々しい老いのエロスをのぞかせた上、九十九歳で天衣無縫の天寿を全うされている(瀬戸内寂聴)。何事にも例外なるものがあって、一概には云えないのだろう。

―――私の茶三昧
標記の随筆の中で女史は長い間の喫茶習慣に就いて軽妙に、あけすけに述べられていて、まことに小気味がよい。
要旨は次の如くである。
(一)抹茶を朝食とする習慣は終戦後長男が官休庵の宗匠に弟子入りされた時(女史八十歳)からが始まりである。
(二)所持する茶碗は長男の呉れた白の樂一、夫君(能楽者野上豊一朗氏)形見の茶碗一、谷川徹三氏寄贈のそば青磁一、以上三ヶだけ。それでも釜一つ以外茶道具らしいものは何も持たなかったと云はれる伝説的茶ノ観よりましであると記している。(註ノ観はへちかんとよむ)
(三)毎朝大服にたてた茶を必ず二杯のんで菓子を食べ間食はしない。
(四)抹茶は宇治林屋から纏めてとり、知人にも進呈している。
(五)私の茶は流儀や作法にとらわれずに飲んでいるが、「茶は湯を沸むまで」の悟りに到達した利休が聴いたらそれで結構ですと云ってくれそうな気がすると書いてある。(全22P282)

アクセントは勿論(五)におかれている。尚この喫茶習慣に觸れている随筆としては「一隅の記」(全23P19)
「山姥の独りこと」(全23P372)がある。さて、今後医術の進歩によって、日本人は益々長寿になって男性だって平均寿命が世界一になってゆくのだろうが、願わくば人間として充実した生活の中で、生きる事を愉しみながら、賢く老いる人であってほしい。その為に野上女史の「茶三昧」は立派な道標である事は申す迄もないが、飲む者としては優れた煎茶であるならば、それはそれで十分であると思われる。嗜好品らしい香気と滋味にみちた煎茶、庶民にとって一層親しみ易い煎茶、ほんとうにうまい煎茶なら老人達に新しい思考と行動力を約束してくれるだろう。流儀は兎も角、煎茶三昧で賢く、賢く生き抜く高齢者を期待したい。もとより老いの生き甲斐は個人個人ちがう事は申す迄もないが、今老人に強く求められているのは何と云っても「洸惚の人」にならない工夫、自助努力であろう。「お歳がお歳ですからね」、などと云う優しい言葉に甘えたり、諦めたりしないで、濃いめのお茶をしっかり喫んで、それを習慣にするような努力があってほしい。

―――秀吉と利休
文学好きで茶に関係のある方なら、野上女史の「秀吉と利休」をお讀みの事と思われるが、野上文学の解説者瀬沼茂樹氏は之こそ彼女の生涯を通じての最高傑作であると激賞している。秀吉と利休の話は誰でも一応は知っている歴史上の事実であるだけに、その小説化にはそれ相応の困難を伴ったことだろう。女史は「私の茶三昧」の中で、……数年まえから「秀吉と利休」について書くことを思いたって以来、机上には曾てなく茶に関する書物がつねにおかれることになった。私はこの俄か勉強を畳のうえの水泳にたとえ自ら嘲ったが、それはただそれだけの変化で、毎朝のおかしな茶三昧にはみじんもかわりはなかった、と記している。だが何としても優れた知性派作家の事である。そこには歴史上の忠実の考証と文学的想像による深い思策があったにちがいない。女史は五年以上の歳月、気の遠くなるような厖大な参考文献、特に桃山時代のものを中心に、朝二服の抹茶を頂き乍ら、眞摯に研究されている。まことに何と恐ろしいエネルギーではないか。

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