第十四回 正岡子規―――秋もはや塩煎餅に澁茶哉2

株式会社かねも 相談役 角替茂二

○仰臥漫録の献立(山本健吉の解説)
たとえば、九月四日の献立として、次のような記載がある。

朝 雑炊三椀 佃煮 梅干
   牛乳一合ココア入 菓子パン二個
昼 鰹ノサシミ 粥三椀 ミソ汁 佃煮
   梨二つ
   蒟蒻酒一杯(コレハ食事ノ例也)
間食 芋坂団子ヲ買来ラシム(コレニ悶着アリ)
アン付三本焼一本ヲ食フ 麦湯一杯 塩煎餅三枚
茶一杯
晩 粥三椀 ナマリ節 キャベツノヒタシ物 ナシ一ツ
(仰臥岩文14)
こういう記載が毎日つづく。そしてそのあいだに、「此頃食ヒ過ギテ食後イツモ吐キカヘス」とか「今日夕方大食ノタメニヤ例ノ左下腹痛クテタマラズ暫ニシテ屁出デ筋ユルム」とか…
病床に釘付けになった病人の意識は、大半食事のことによって占められているであろう。その日何を食おうかと思いめぐらすことが、病人の大きな楽しみの一つであったことは、確かだろう。ことに子規は、健啖さにおいては、健康人をしのぐものがあった。たくましい精神、たくましい意思は、運命をわがものとして愛するべきを心得ているものである。彼は「粥三椀」「焼鴫三羽」「菓子パン大小数個」「マグロノサシミ」などという品目を、如何にも楽しげに数え上げる。それはただの品書きに過ぎないが、それを一つ一つ書き上げる子規の心の動きを、そこに辿ることもできるのである。しばしば「晩飯後腹ハリテ苦シ」「食過ノタメカ苦シ」「便通及繃帯トリカへ腹猶張ル心持アリ」などと、書きこまなければならぬ。その苦痛は当然予想できることでありながら、なおかつ彼はうまいものをむさぼり食わないではいられない。私にはそれは、肉体の欲望であるばかりでなく、心の渇きでもあったようにすら思えてくるのだ。
病床の苦痛は私たちの想像だが、その苦痛を弱々しく訴えたりはしない。『病牀六尺』の百二十二回から百二十五回まで、つまり死の八日前から五日前までの文章については、「五体すきなしの拷問」のような極度の苦痛について述べているが、そこでは自分の苦痛をあたかも他人の苦痛のように、客観化して述べているのである。『仰臥漫録』においては、もちろん人に見せるための文章ではないから、訴えの意図を初めからもっていない。ただ、そこでは自分の健忘として、苦痛の叙述があるのだ。
「一両日来左下横腹(腸骨カ)ノトコロイツモヨリ痛ミ強クナリシ故ホータイ取替ノトキ一寸見ルニ真黒ニナリテ腐リ居ルヤウ也定メテ又穴ノアクコトナラント思ハ捨テハテタカラダドータラウトモ講ハヌコトナレドモカカリナガラ午飯ヲ食ヒシニ飯モイツモノ如クウマカラズ食ヒナガラ時々涙グム」
そしてこの二日ほど後には、精神的な逆上が来る。
(病床六尺の世界 子規選集 山本健吉氏)

更に献立数例
九月十二日 曇 時々照る
便通及び包帯取代
朝飯 ぬく飯三椀 佃煮 梅干
牛乳五勺 紅茶入 ネジパン形菓子パン一つ(一つ一銭)
午飯 いも粥三椀 松魚のさしみ 芋 梨一つ 林檎一つ 煎餅三枚
間食 枝豆 牛乳五勺 紅茶入 ネジパン形菓子パン一つ 便通あり
夕飯 飯一椀半 鰻の蒲焼七串 酢牡蠣 キャベツ 梨一つ 林檎一切
藻州氏来る
午後沼津より麓の手紙来る
麓留守宅より鰻の蒲焼を贈り来る
高浜より使、茶一かん、青林檎二、三十、金一円持来る 茶は故政夫のくやみかえし、林檎は野辺地山口某より贈り来るもの、金円は臍斎より病気見舞
沼津麓より小包便にて桃のかん詰二個来る
病閑に糸瓜の花の落つる昼
夜病室の庇に岐阜提灯(調音所贈)を点す
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九月十三日 曇
便通及び包帯取代
朝飯 ぬく飯三椀 佃煮 梅干
牛乳五勺 紅茶入 菓子パン二つ
便通
午飯 粥三椀 堅魚のさしみ みそ汁一椀 梨一つ 林檎一つ 葡萄一房
間食 桃のかんづめ三個 牛乳五勺 紅茶入 菓子パン一つ 煎餅一枚
夕飯 稲荷酢四個 湯漬半椀 せいごと昆布の汁 昼のさしみの残り
焼きせいご 肴古くしてくわれず 佃煮 葡萄 林檎
九月二十一日 彼岸の入 昨夜より朝にかけて大雨 夕晴
便通、包帯取代
朝  ぬく椀三わん 佃煮 梅干 牛乳一合ココア入 菓子パン 塩せんべい
午  まぐろのさしみ 粥二わん なら漬 胡桃煮漬付 大根もみ 梨一つ
便通
間食 餅菓子一、二個 菓子パン 塩せんべい 渋茶 食過のためか苦し
晩  きすの魚田二尾 ふきなます二椀 なら漬 さしみの残り 粥三椀 梨一つ 葡萄一房

九月二十四日 秋分 晴
便通及び包帯取りかえ
朝飯 ぬく椀三わん 佃煮 なら漬 牛乳ココア入 餅菓子一つ 塩せんべい二枚
午飯 粥三わん かじきのさしみ 芋 なら漬 梨一つ お萩一、二ヶ
間食 餅菓子一つ 牛乳五勺ココア入 牡丹餅一つ 菓子パン 塩せんべい 渋茶一杯
夕  体温三十七度七分 寒暖計七十七度
生鮭照焼 粥三わん ふじ豆 なら漬 葡萄一ふさ 
夜  便通やや堅し

○子規の茶についての俳句
アルス子規全集三巻による

明治二十九年
茶摘  木の上に見ゆや茶摘の顔ばかり P26
鷲  鷲や低い茶の木の中で鳴く P42
新茶  新茶青く古茶黒し、我れ古茶飲まん P100
白き花活けて新茶の客を待つ P100
清水 茶屋の茶に清水の味はなかりけり P115
清水ありや婆子曰く茶を喫し去れ P115
月 裏山の茶畠ありく月夜かな P197

茶花 野はづれに茶の花は誰が別荘ぞ P278
藪陰に茶の花咲きぬ寺の道 〃
茶の花に鰈乾したり門徒寺 〃
茶の花梅の枯木を愛す哉 〃
茶の花や藁屋の烟朝の月 〃
茶の花の中行く旅や左富士 〃
茶の花の中にまじりて茶實哉 〃
茶の花や詩儈す茶福寺 〃
茶の花や花を以てすれば梅の兄 〃
病あり
茶の花の二十日あまりを我病めり 〃

明治三十年
涼しさや淹を茶に煮る淹の茶屋
埋火や澁茶出流れて猫睡
子規の食事の茶について碧梧桐は次の如く述べている。
茶は番茶煎茶一定はしていなかった。
急須でなく、大抵は土瓶だった。どういう珍客にも、我れ我れ書生にも、仝じ土瓶と茶碗であったというようり、客に出す茶器は、あとにもさきにも一通りしか備えてなかったようだ。
秀眞君が、蝕くったような、鉄の茶托をこしらえたのは、ずっと後のことだが、それが出来てからは、單り芸術品らしい茶托ばかりが光るようになった。

コーヒーの角砂糖時代、紅茶も輸入の少ない頃、本当のコーヒーの紅茶も味わずに了った。よく病床日記に「紅茶一杯」などとあるが、どういう質の紅茶を、どういう入れかたをしたか、今から思うと気の毒にもなる。
(岩文、子規を語るP308 318)

明治三十一年俳句未定橋
新茶
袋に新茶と書きて吊るしたり P440
新茶積む馬も來て居る汽車場哉 〃
新茶入るる袋に古茶の名殘哉 〃
新茶選る儈と話すや小百姓 〃
一枝の牡丹酬ゆる新茶哉 〃
紙切に包む手製の新茶哉 〃
したたかに新茶のみけり蛙の夜 〃
更衣狭山の新茶到來す 〃
澁紙や新茶干したる縁の先 〃
炭はねて始まらんする茶の湯哉 P515
活けて久しき茶の花散りぬ土達磨 P531
庭のうしろの東山
茶の花やうしろ上りに東山 P531

明治三十二年
茶を飲で菊の根分の疲哉 P563
禁酒して茶の道に入る柚味噌哉 P579

明治三十三年
寐ぬ戀の眠たき節や茶摘歌 P622
一番茶二番茶郒にみつにけり 〃
水清き宇治に生れて茶摘哉 〃

摘みためし手のひらの茶のこほれけり 〃
五六人茶を摘む岡の高みかな 〃
山吹散りてイ
茶を摘むや桃散る畑の別霜 〃
夜芝居や昼の茶摘の労れ顔 〃
尾州候お庭焼茶碗銘)
茶に匂ふ葵の紋や梅の花 P628
仏壇の山吹散りし茶湯哉 P631
小包を解けば新茶のこぼれけり P637
俳諧の奈良茶茶の湯の柚味噌哉 P653
芭蕉忌や我俳諧の奈良茶飯 P664
菜の花や雨にぬれたる庭の石 P667
菓子赤く菜の花白き忌日哉 P667

明治三十四年
新しき茶を煎じけり玉の露 P686
次韻して謝する新茶の絶句哉 〃
羊羮の甘きを好む新茶哉 〃
寺を見て茶のもてなしや若楓 P690
秋もはや塩煎餅に澁茶哉 P693

明治三十四、五年
山吹散って(34年)
茶を摘むや桃散る畑の別霜(33年)アルス後期P3
大岡信、高浜虚子兩氏の選句

大岡信は「子規の俳句」(増進会子規選集第四巻)の中で子規の句千四百句を擧げている。子規のよんだ句は總数二万四千位と云われている。大変な作業にちがいないが、虚子にも仝数位の「子規句集」(岩波文庫)がある。兩者の選んだ句の中で茶に関聯するものを記してみる。

大岡  信
箱根茶店にて
明治二十五年 犬蓼の花くふ馬や茶の煙
  二十六年 茶摘 茶摘歌東寺の塔は霞けり
うら若き声のみ多き茶摘哉
菜の花 菜の花の茶の葉あるこそ恨みなれ
  二十七年 茶摘 人を見ず山の凹みの茶摘哉
  三十九年 新茶 新茶青く古茶黒し、我古茶飲まん
  三十四年 秋 秋モハヤ塩煎餅に澁茶哉

高浜 虚子
明治二十年 菜の花や利休の像を床の上
  二十五年 犬蓼の花くふ馬や茶の煙
ほんのりと茶の花くもる霜夜かな
  二十六年 茶摘 我庭に歌なき妹の茶摘哉
  二十八年 梅 茶畑やところどころに梅の花
  二十九年 清水 清水ありや婆子曰く茶を喫し去れ
  三十一年 茶の土瓶、酒の土瓶や辛圑子
  三十三年 芭蕉忌や我俳諧の奈良漬
菓子赤く茶の花白き忌日哉

○子規歌集(土屋文明編、岩文)
明治三十二年
麓の新築見に行きて
新室に歌よみをれば棟近く雁がね啼きて茶は冷えにけり
(岩文歌集P50)
明治三十三年以降

冬ごもり茶をのみをれば活けて置きし一輪薔薇の花散りにけり
ときは木の樫の木うゑし路地の奥に茶の湯の銅鑼のひびきて聞ゆ
テーブルの足高机うち囲み縁の蔭に茶をすする夏
秋の夜を書よみをれば離れ屋に茶をひく音のkあすかに聞ゆ
閼伽の井の閼伽の水汲み朝な朝な庵の仏に茶をたてまつる

お茶と文学者
第十四回
正岡子規―――秋もはや塩煎餅に澁茶哉②
株式会社「かねも」相談役 角替 茂二

悟不悟の歌  左千夫に贈る

茶博士ヲイヤシキ人ト牛飼ヲタフトキ業ト知ル時花咲ク茶博士の住みける庭の松の木に棒をくくりて押しかたむけあり
茶博士が歌をつくると茶の歌を茶博士つくりつよき歌つくりつ

左千夫君松嶋よりの皈りに

小ふくろの中は我知る茶の碗と筆と硯と松しまの歌尚次の一首は中公、日本の詩歌に、子規の情味豊か、表現確実として取りあげられているので腑記、
我庵の硯の箱に忘れありし眼鏡取りに来よ歌よみがてら

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