第二十一回 石川淳(夷齊) 草人木の「ワビ」

株式会社かねも 相談役 角替茂二

お茶と文学者

――― 石川淳の文学と侘
近代文学の解説者として高名な加藤周一氏はその労作「日本文学史序説」の中で「日本語の文学的散文を操って比類を絶するのは「石川淳である」その漢文くずし短文は、語彙の豊かさにおいて、語法の気品において、また内容の緊密さにおいて、荷風を抜きほとんど鴎外の塁に迫る。・・・・・・荷風以後に文人と称し得る者はただ一人の夷斎石川である。・・・・・・・その独特の傑作は超現実主義的な短編小説である。戦時中に「普賢」と「マルスの歌」、戦後には「黄金伝説」「燒跡のイエス」「紫苑物語」「喜寿童女」がある。これに「おとしばなし清盛」を加え、いずれも他に比類がない、としている。

長編小説としては「至福千年」「狂風記」「六道遊行」「天門」があり、晩年八十八才逝去する迄「蛇の歌」を書いていた。こゝで取り上げる「ワビ」は「夷斎清言」(岩選14)の中の初頭のエッセイであるが、作品社の中里恒子編「茶」にも掲載されているので、茶関係者の多くの人の眼にふれていると思われる。

漢籍、江戸文学、フランスを中心とするキリスト教文化等深い学殖の中で鴎外文学をきわめ、その中で澁江抽齋、北條霞亭の史伝物を鴎外作品中の第一等の書とされた事は多くの人の知るところである。然るに夷斎清言の中の「佗論」は多くの茶道家が問題の重要性を弁えつゝも等閑視しているのではあるまいか。いささかでも茶に縁のある者として気になる点である。

夷斎の文章は平明に似て晦渋、柔らかそうで鋭いロジックがある。もとより著者ごとき審美学に疎く、「茶の場」の道に暗い者に「佗」論を正確に要約する力量がない事は明白である。原文を概ねその儘提示して識者の数を乞うしかない。
尚夷斎の小説については井沢義雄氏の「石川淳の小説」野口武彦氏の「石川淳論」「江戸がからからになる日」など、いずれも読みごたえのある力作。読者はこの二者の夷斎への傾倒ぶりとその文学、哲学、美学の底の深さをじっくり思い知らされるだろう。(余計な話であるが、野口氏は日経文化欄に「江戸の風格」を書き続けられている。結構面白い読物である。)

しかし惜しむらくは両氏とも問題の「ワビ」論議には筆が及んでいない。「ワビ」に就いてはジードやモンテーニュ迄引合に出されて、茶道具類のエステティークについての議論がある。操り返して読んでも解りにくいそこには身分上の「ワビ」とどう繋がるのか、といった問題はない。だが名器と云われる茶埦などに対する夷斎審美学の問い掛けと挑戦がある事は間違いない。マラルメやジードに親しんだ夷斎は狷介にして韜晦であるが、封建的と言う言葉はきらいと云っている。そんなところを見ると大正アナーキストめいた臭いがしないでもない。
夷斎には「新釈雨月物語」があり、上田秋成の散文調を激賞している。それにも拘わらず秋成の「清風琑言」には触れていない。いささか物足りない。だが夷斎もどちらかと云えば抹茶より煎茶を好んだ事は確か、その趣は随処にうかがえる。ただしお作法の煩わしさがなければ抹茶も嫌いでなかったこと、これも確かである。

茶道研究会の久田宗也は、堀内家「草人木」を底本としていろいろ解説を行なっている。(茶道)古典全集(淡交社)その要点を挙げれば、本書は古織の伝ではない事、茶道の第三者的立場の者が、書肆「源太郎」の名で茶道入門手引書として編集したものである事、内容的には身分低く下級階級の者で道具類もあまり持てない佗任に対し極めて同情的で寛容な規範を示したものである事。そして佗人が茶の湯を通じて高貴の人に対する身の処し方を説いていること、etc..である。
しかし行用39・45等、細部にわたる茶事の心得の中に、人間の機微に亘るものを持ち込んでいるもの、「草人木」の佗の茶は、「式目の厳正なる履行を超えて「人間的なるもの」ともいうべき、新しい式目がより重い位を占めつゝある。ことを示すものであろうか」とも記している。なかなかむつかしい。

「草人木」は寛永年間のものであるが、「分類草人木」は永禄七年(一五六四)堺の茶人松斎春溪が筆録したという、又久田氏によれば「草人木」は寛永三年版がはじめであると記している。「草人木」と「分類草人木」は全く別の書である事は申す迄もない。
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――― 夷齊のワビ論
石川淳は次の書き出しで「佗」論をはじめる。
草人木三冊、寛永九年壬申(一六三二)六月刊。草人木はすなわち茶といふ字である。これは江戸の茶事の本として古いはうに屬する。わたしは茶事にはさっぱり通じない。またそれをたしなまうなんぞといふ醉興もとんと無い。
・・・・・・・
開巻まづワビの定義が下される。ワビとは身分上の規定であった。茶をもつて正道とするとはいつても、道の上手下手に依つて身分の別が定まるのではない。
・・・・・・・
茶の湯には亭主と客とがある。招かれた客は役をたがへてはならない。しかし、無斷にて遅刻もしくは不參のものにも、なほゆるしがある。いかなる身分のものがゆるされるのか。「主君を持てみやつかへの人か、醫師か、旦那持の出家か、あるひは一僕にも及ばざる侘人か、如此のたぐひである。
・・・・・・・
ワビビトがゆるされるのは、じつは「其身數ならざ」るがゆゑなのだからここでもやはり身分上のケヂメをくはされたことにある。「免の一ヶ條」は一僕をもつかもたぬかといふことに係つてゐる。
・・・・・・・
その「下賤」のワビがなほカコヒに立入をゆるされるのは、貴人高位の「あはれみ」に依るといふ。それが「茶の湯の威徳」なのださうである。茶席には身分の上下を論ぜざるがごとき體にもてなしながら、じつは貴賤の差別をはつきりつけるといふところに、禮法の仕掛が見てとれる。
・・・・・・・
高位大名の仕打にさからはないことがワビの身に似合ふといふことらしい。この身のほどを越えないといふところに、ワビの作法が見つけられる。
・・・・・・・
なにぶんにでもすでに茶事には主客の關係がはたらくのだから、道具の美的價値の有無よりも、貴賤の身分の差別のはうを目安にしたところに社交の骨法を見つけたといふつもりなのかも知れない。美學と處世術とがここに搦みあつてゐるやうである。下賤の側がこれだけ手數をかけたうへで「貴人の御出にあづかるといふこそ茶湯の威徳はあらはれたれ。」といふ。かう肩身の狭いおもひをしてまで、「威徳」にあづからなくてもよさそうなものだが。

以下の文章は余りにも夷斎的、すべて原文の儘転記。

――― 隠遁者
道具をたのしむといふ。そして「藝能の重寶」のかぎりでは、貴賤の差別は無きにひとしいといふ。さういふ茶の世界とはいかなる性質のものか。草人木の著者は床のかざりの段に至つて「根本茶湯は隠遁者のわざ也。と記してゐる。隠遁者なるがゆゑに、茶席の床には「組師先徳の遺をける金言の軸物」をかけるといふ。東山殿の五式目にも租師の軸は茶道の本道」なのださうである。「金言」に拘泥せず、「軸」をもつて宗としてゐるところは、さすがに道具を楽しむ「茶道の本道」らしい。すると茶席の中には佛法の來世の觀念が具象的に設定されたことになるのか。にはかに判じがたい。またとくに佛法と関係があつたにしても、茶席は現實の世の中に於てそこが別天地であるやうな仕掛にはなつてゐたのだらう。特別の設計に依る建築の中で、特殊の道具を使って、特定の式目にしたがつて、茶をのむといふ操作をする。そしてさういう演出に於て生活の意味を發見する。その建築も、道具も、道具の配置もすべて美に関係あるとすれば、この演出はすなわち生活に於て具體的な美をあつかふ方法であり、そこにできあがった秩序は美的生活の可視的な形態であるといふことになる。茶の世界についての基本的認識は、今日のわれわれにとって、さしあたりこれだけで間に合ふ。茶席にをさまつた人間がいかなる觀念を案出しようと、またその顴念の内容がたとえば、美學に、哲學に、佛法に、老莊に、現実の幸福に、人生のひねくれに、商賣の取引に、他のものに関係しようと、われわれの知ったことではない。まして、美的生活者でもなく、隠遁者でもなく、他のなにものでもなさそうな後世の物識博士の捏造に係る茶道講義なんぞは完全に用が無い。さういつても、かつて茶の世界の秩序に生涯を託した人間はともかく美的生活者であったのだらう。またその世界が現實の世の中から分離的に存在するもののやうに考へられてゐたとすれば、それは隠遁者といへないものでもない。しかるに、不都合なことに、茶席の登場人物は主客を持って構成されるといふ約束になってゐるのだから、そこには「此道數奇執心の輩」いろいろ、「貴人高官」なんぞも大手をふつてはひつて來る。まさか「貴人高官」のことごとくが、「何の益あって」隠遁者を志願したといふわけでもあるまい。逆に隠遁者ならざる人物の出入りに依つて「此道」は繁唱したいといふ實績を示してゐる。

――― 茶席の禮法と道具の貫禄
・・・・・・このとき、茶席とはなにか。
茶席では、主客の關係を維持するものは、「道具の取置にて人をたつとむ事」をしらしめるやうな「しつけ方」であった。つまり、相手の身分に依つてはたふとばなくてよいといふような「しつけ方」もあつたことになる。これが茶席の秩序に於ける禮法である。この禮法の圖式は道具といふ物體のあつかひ方に依つて可視的に描かれる。ここに描かれた絵圖面は現實の世の名の秩序にむかつて物をいふだらう。といふのは、茶席の身分と現實の身分とは道具の媒介に於いてパアに通用するといふ為替相場ができあがつてゐたからである。すなはち、茶席の禮法は禮法一般の典型であつた。爲政者はこれに據つて現實の世の中の秩序を規制することができる。わたしが、このやうな禮法の立て方は封建的といへないものでもない。決して「隠遁者」ではなかった「貴人高官」が好んで茶席といふサロンに出入りした所以だらう。道具持は禮法の材料をふんだんに用意していたのだから、サロンの秩序のために幅をきかせたはずである。道具の美的價値について判定の權威を持つのは宗匠であった。この判定の効果は禮法上の基準に準ずる。宗匠の位置はすなわち禮の座であった。たとえば利休のやうな宗匠がその社會的地位に於てどれくらゐに高かつたちうふことは當時の名器として今日に殘つてゐる道具の貫綠に依つて、われわれはこれを蓋然的に目測することをうるだらう。爲政者のほうでは、この道具の効用をむだに見のがしてはおかない。たとへば武將の戰功を論じて封拜をおこなふとき、領國の代りに茶碗を持って賞賜とする。それは一箇の茶埦といふ財産上の利益をさづけられただけではなくて、名器をえた人間の茶席に於ける貫綠がおもくなつたといふこと、すなはちそれに應じて現實の世の中の秩序に於ける格式があつたか、サロンの附合であつたか、賞勳制度であったか、判然としない。あるひは武將がだまされたとすれば、誤算は茶碗の美的價値にキズがあったためではなくて、身分上の爲替相場に變動があつたものである。ただこのとき、美的生活の場として茶席の意味は見うしなわれたにちかいだらう。しかし、世の中の秩序にとっては、美的生活といふものはもともとあれども無きがごときなのだから、これをうしなつても損害にはなるまい。また茶湯者の側でも、おかげで商賣が繁昌するといふ計算になるならば、とくに文句をつける筋合はあるまい。「藝能の重寶」とは、おほきにこのことをいふのかも知れない。

(つづく)

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