第二十二回 石川淳(夷齊)―― 草人木の「ワビ」

株式会社かねも 相談役 角替茂二

――― 觀念上のワビ
ところで、ワビといへども、ひとたび名器をえたとすれば、もはやワビではなくなるだらうか。この形式論理は實際にはワビには適用されないやうである。といふのは、どうしても名器とは綠の無いやうなものがワビだからである。すでにワビは「道具なし」といふ。では「道具無し」とはなにか。じつに露骨に物的貧困の謂であった。茶の世界も存外殺風景なものである。すると、ワビは社會を構成する階級に關係させてこれを考えるべきだらうか。
しかし、茶の世界の限りでは、われわれの國土の不毛に關係させてこれを考へたはうが妥當のたうにおもふ。耕して山頂に到つても國土なほ物産にとぼしいといふことは、一般に風流人の生活がいつも材料に於てまづしいといふことの、おそらく坺差しならぬ原因である。唐人の詩句に鶏犬圖書共一船といふ。これは貧棒はどうも和朝の士人貧棒とは位取がちだふだらう。

おもへば、茶についてのすべての觀念は道具に於いて發見されたものであつた。
しかるに、サビとか幽玄とかいふ觀念とならんで、ワビといふ觀念がある。これはかならずや「道具なし」に於て發明された觀念にちがひない。すなはち知る、觀念上のワビとは物的貧困の形而上學、貧棒人の風流哲學であった。材料の無い袖をふつて精神の臺所をまかなはうとすると、あはれむべし、かういふ無理をすることになる。せつかくの無理くめんながら、それに依つて精神の臺所がゆたかになつたといふ形迹は見えない。精神と生活とを通じて、この風流哲學はあきらかに運動の邪魔であつた。
ワビ觀念が増長すると、みづから奥ゆかしいなんぞとうぬぼれかねないだらう。じつは現實に比して底が淺いといふことにほかならない。すべての觀念をとりはらつても、貧困は現實としてある。精神と生活との發明は、觀念からではなくて、現實から打出さなくてはならない。スリキリワビ。これは古語であるか。いかにせむ、今日われわれの生活が經驗しつつある現實は依然としてスリキリワビといふに似る。そして、この現實をふたたび觀念のはうに戸まどひさせて行くやうな茶席の設備も、今日おなじくすり切れてゐるらしい。なにがしあはせか知れないといふことである。

今日では、いふまでもないことだが、現實の世の中の秩序がとうにつてゐるのだから、茶席の秩序は現實とは分離的にしか成立しえない。その禮法のごときは、いや、その道具をあつかふ手つきなんぞは、どこの世界に持ち出しても完全に意味が無い。
禮法ははなはだ勝負事のルールに似てゐる。かならずしも一つの茶埦をおほぜいでのみ廻すことがきたならしいのではなくて、不潔はこの禮法に搦んでゐるのだらう。といふのは、このやうな仕掛では、美的生活者がみづからたしかめるべき孤獨はよごれるほかないからである。

江戸の中ごろに、文人墨客の間に煎茶の風がおこつたのは、舊來の茶席の秩序を、すくなくともその禮法を感覚的に拒否したといふことになるかも知れない。
すでにして、茶についてのすべての觀念、茶道と呼ばれる思想なんぞは完全にほろびてゐる。
これは、衛生學的に然るべきことであった。しかし、武士道はほろびても刀は骨董として残るやうに、茶道はほろびても道具は残り、建築は残り、茶といふ飲料は残つてゐる。茶の世界が分裂して、かつて世の中を構成したそれぞれの要素がおのれの位置にもどったやうなものである。

――― 茶埦の美
今日、茶といふ飲料はコーヒー、ココア、コカコラなんぞとまつたく同様に、個人の味覺の好みに依つてしか存在の意味をみとめられない。われわれは市中の瀬戸物屋のころがつてゐる「今燒」の茶埦を持つて、美學にも哲學にも気をつかふにおよばずに、椅子にかけて薄茶をのむことができる。
またそのおなじ薄茶の茶埦にメシを盛つて食ふこともできる。いいあんばいに、この操作には何の禮法の典型もありえない。そしてわれわれはまたコーヒーをのみながら、かつて茶席の名器であつたころの、からの茶埦を手にとつて見ることができる。われわれはこの古い茶碗になにかの飲料なり食物なりを入れることは考へないだらう。いや、なにかを入れてはきたならしいやうに感ずるだらう。それでも、茶碗の貫祿があるとすれば、しばらくわれわれのてのひらの上にとどまつてゆるがない。このとき、われわれはそこに何を見てゐるのか。すなはち、茶埦の於てうつくしいものを見ているいといふことにほかならない。

茶碗はむかしの茶席の雰圍氣から坺け出して、われわれの手の中に、直接の鑑賞に堪へるやうなところに物として置かれたといふことになる。ただその茶埦がいかにうつくしいものであつたとしても、われわれはそこからわれわれの美的生活をつくり出すといふやうな方向には考へては行かないだらう。けだし美には典型といふものは無い。したがつて美的生活には類型といふものはありえない。
われわれの美的生活の形式は、もし欲するのならば、精神がまた別様にこれを編み出さなくてはならぬものである。手の中の茶埦に於て、見つけたと思つた美は、茶埦が手から離れたとき一瞬にして消えるだらう。不幸にして、それは茶埦といふ物が消えたといふことにひとしい。
一般にそれがうつくしいものの宿命である。いひかへれば、一般にうつくしいものはいかなる美的觀念をも受け付けないほどに強烈ないのちをもつといふことである。
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――― ワビ哲学
たまたまロージェ・マルタン・デュ・ガールのNotes sur Andere Gide.1913-1951の中に左の一節を見る。

○ジイドはわたしにつぎのビュフォンのペーヂを讀む。「情熱に於ける節制、快樂に於ける控へ目としらふとが生命の持讀を資けるといふこともありうるのかも知れない。しかし、これがどうも眉唾物である。肉體がそのすべての力を使ふといふこと、この消費しうるもののすべてを消費するといふことが、おそらく必要である。」もつてつぎのモンテーニュのことばに比すべきか。「わたしの出逢ひうる快樂の最小の機會に至るまで、わたしはそれを手でつかむ。」

われわれがうつくしい茶埦を手の中にとつたとき、もしそこに人生の情熱の瞬間があつたとすればわれわれもまた全力をもつて茶碗とともにその機會を手でつかまなくてはならない。それがわれわれの今日に生きてゐるといふことの具體的意味である。もしこの具體的意味を性格に機械で量り數式で示すことができるとすれば、すくなくとも近似的に正確にことばであらはすことをうるとすれば、われわれは必至にさうしなくてはならぬだらうそれは茶埦が手の中にあるといふことを肉體のエネルギーをもつてたしかめるといふ操作に似る。茶碗についてのすべての觀念は、右の正確なるべき表現の中にあるだらう。
生活の具體的意味には、曖昧なものはありえない。むかしの茶湯者もやはり手の中に茶埦をたしかめ、また生活の具體的意味をそこにつかんだのだらう。そして、茶湯者の肉體のエネルギーがそそぎつくされたさきに、茶の世界はひらかれたのかも知れない。しかし、ワビの茶湯者の生活には觀念上のワビといふ曖昧なものがどこかしらしのびこんで来たのか。もしや、ワビの茶湯者は情熱の於て筯制的であり、茶碗とともに快樂の最小の機會を手でつかむことにはあまりに控へ目であったといふやうな事情がひそんでゐるのだらうか。あるひは、ワビ哲學はワビの茶湯者がみづからたしかめえた生活の具體的意味をみづから表現したものではなくて、ワビにあらざる道具持の茶湯者がおせつかいにも「下賤」の「道具なしの茶湯」について恣意に案出したものであらうか。

すべての後世の憶測は後世の生活にとつて眉唾物である。すなわち、すべての後世のワビ哲學談義は茶の歴史にとって眉唾物である。
今日製作のカコヒなんぞにをさまつて、茶といふ飲料をがぶがぶのんでみても、ワビについては何の答えも出て來ないだらう。
われわれはもつと廣い場所に於て、手の中につかまへた茶埦といふ道具とあらためて相談をぶつほかない。
(見出しと傍線、著者)

――― 小説「白猫」の中
花笠武吉の演説
つまり、利休には無かつたものが遠州には加はつてゐるといふことです。ここには、山樂的なもの、派手であるものが「寂」とともに在るのです。このことはたれがみても一目瞭然でせうが、われわれは今この寂にして派手であるものを日本民衆の在り方としてつかみます。
遠州の茶道とは民衆の美學にほかなりませんでした。桂離宮は遠州の美意識を形態に組み上げたものでした。
しかるに、その遠州の茶道ははなはだ短命にして終りました。

ところで茶澁を嘗めてゐたこの人物のことを、乞食宗旦とはうまい渾名を附けました。やがて、この乞食根性は成上がり者の金鍔趣味と結託して、茶道商蕒の大繁昌を招くに至りました。民衆が茶道に洟も引つかけなくなつたのは理の當然です。
かくて、かの寂にして派手であるものはいつたいどうなつたのでせう。封建的なものの支配下にあつては、それは民衆の精神とともに窒息せざれるをえなかったのでせうか。たしかに芭蕉の風雅は貧棒くさい鹽垂衣ではなく、婉治なるものをほのめかせてゐます。そして、ひとり蕉風に限らず、一般に陰にひそむのと陽にうごくものとを含蓄してゐる俳諧が江戸期に於ける唯一の民衆の歌であつたといふ事實はいかなる歴史的意味をもつてゐるのでせうか。遠州の茶道といふ方面で堰きとめられた民衆の精神がこちらの側でもやもやするほかなかつたと解したなら牽強附會の説でせうか。いや、遠州的なものは俳諧のはうにほそぼそと繼承されたのだと、あへていひ切つてしまひませう。だが、芭蕉詩の壇上には能無臺のごとくさらに「幽玄」といふ曖昧なものがよこたはつてゐます。こんな不健康な觀念はかつて遠州にはありませんでした。またこんな斷停止は利休の突きつめた「寂」の中にもないはずです。

では「幽玄」とは・・・・・おそらく何かを美化してゐるであらうこのことばについて、われわれが今時分考へる必要はないのです。といふのは、その何かがどんなものか、いかにありがたさうな解釋がならべられたとしても、じつはそんなものがどこにもありつこないことを、民衆の叡智がとうに見破つてゐるのですから。しかも、この奇妙なことばが究極の境地として現實の中に假定されねばならなかつた事情は何に胚胎するのでせう。ただわれわれが承知していることは、このことばに封建的なもののにほひが沁みてゐて、民衆の精神にとつて餘計なお荷物だといふことです。「幽玄」が幅をとつただけ餘計に、遠州的なものは量を減らされ、力を弱められて、俳諧の中に押し込まれたのです。
われわれは一箇の茶埦に於て、寂であるものを手に取つて見ることができ、同時にそのやうな作者の在り方を感得することができます。派手であるものについても同様です。
しかし、幽玄である在り方とか、幽玄である作品とか、そんなへんなものがどこにあるのです。かかる無用物を案出したのはおそらく封建的なものの政治で、決して民衆の浪漫的精神ではありません。たとえば芭蕉の「古池」の句のごとき、それが名句であろうとなかろうと、芭蕉の寂である在り方として、われわれはすなほに享受しつつ、たしかに結構とは思はれぬこの句を、存外捨てきれずにゐるのです。
しかるに、もしこの句のほうからここにこそ「幽玄」が鎭座するのだと説きつけて來たとしたらば、それはたちまちわれわれにとつて手のつけられぬばかばかしい駄句でしかないでせう。一般に、俳諧に於てわれわれを感動せしめるものの根源には、かならず遠州的なものが、すくなくとも寂と派手とに再分裂あっせられた遠州的なものが再分裂されてゐるのです。

クラウス博士の演説
――― クラウス博士とはブルーノ・タウトがモデルか(野口武彦指摘)
クラウス博士は微笑をたたへて、ドイツ語ではなし出した。)・・・・・・・それは花笠氏がもつぱら彈刻に努められた「幽玄」のことです。・・・・・・・・・何を申し上げるかといふと、かうです。一箇の茶埦に於てわたくしはその美的價値に手をふれることができます。だが、それが寂であるか派手であるか、茶碗の味、作者の在り方からつねに若干の間隔をおいたところにわたくしはをるのです。向うがぴったりとこないのではなく、こちらが同化して行かないといふ恰好です。すくなくとも、日本の茶碗に於る限りわたくしはいつまでたつても諸君と同じ度合いにまで入り込んで行けないでせう。・・・・・・・・・・幽玄については・・・・・・花笠氏に依ると、民衆の叡智は頭からそれを否定するのでさうが、・・・・・・・

幽玄については、もしそれを理解すべく取りかかつたとすれば、異邦人であるわたくしもかならずや諸君とまつたくおなじく圓滿に理解してしまふであらうと思はれます。すなわち究極に於て、わたくしにとつては、宙にふわふわしてゐるはずの幽玄は案外つかへやすいにも係らず、手中にある茶碗の寂はどうにも至りがたいものだといふ結果になります。これもまた、やはり遠州にふれて、感じたことの一つですが・・・・・
わたくしは遠州の棚を見ました。何よりも、わたくしを深く打つたのはこの棚でした。おそらく、そこには花笠氏のいはゆる寂にして派手である在り方が示現されてゐるのでせう。しかし、わたくしを打つたといふのはそんな人間存在に關する底のものではありませんでした。じつにたぐひなくみごとな空間の切り取り方を、わたくしはそこに見たのです。伽藍、塔、軍艦、飛行機その他の構造に於て、われわれの眼前に物質と格闘する精神の姿がしばしば展開されます。そしてわたくしみづからが身を置き、今後も置くであらうところはその格闘の場にほかなりません。しかるに、遠州の棚にあつては格闘がまつたく見えないのです。
・・・・・・・・
物質そのものが、具體的には柔とか紫檀とかいふ材料がもう見えなくなつてゐて、あるものはただ空間を切り取った線のみ、いはば精神のかたちばかりです。精神の揺るぎ座、悠久者の姿を、わたくしはそこに見ました。そしてもはやぴつたりとか同化とかいつてゐる段ではなく、あたかも自分の立場、格闘の場所、批評精神などをもろともに身に附けたまま、わたくしはすらすらとそこに流れこむほかない鹽梅でした。永遠なもの、時間がなくなつたもの・・・・・・すでに時間が無いものに向つて、われわれはいかなることばを發することができるでせう。そのとき、わたくしはふと「幽玄」とはかかるとき發すべきことばではないかと思つたのです。
・・・・・・・
お國のひとびとが幽玄に於て何を解されるか、わたくしは知りません。また、かくてわたくしが幽玄を解しえたとも申しません。ただ花笠氏にして、どこに根據をもたれるにしろ、いま幽玄が無いと主張されるならば、この遠州の棚を象徴とするところのものの名は何であるか、うかがひたく存ずるのです、もちろん、聰明なる花笠氏はそのへんのことは百も承知で、しかるうへに創見を示されたのであらうと察せられますが・・・・・そのまへに、あるひは諸君はわたくしに對して、かの至りがたき茶碗の寂の上に、また桂離官につき民衆的といつたことばの上に、ここでふたたび説明を立ちもどらせるやう要求されるかも知れません。しかし・・・・・・

(つづく)

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