第二十八回 三好達治――茶の花十里(2)

株式会社かねも 相談役 角替茂二

茶の花は俳句的であると前に記したが、詩よりも俳句を好んだと思われる室生犀星に次の「茶の花」がある。詩心のある年配者にとって懐かしい詩ではないだろうか。

茶の花 室生犀星

わたしは茶の花が好きです

あの花びらがひえびえと咲いてゐるのを見ると
わたしの心は薄荷(はっか)を舐(な)めたやうに
すずしく静かになりのです
古い染附物(そめつけもの)の壷などの
手ざはりをこころみてゐる一瞬のやうに――

茶の花の蘂(しべ)を指さきで揉むと
何といふ滑(すべ)つこい感じがすることでせう
その黄ろさは濃く温かい
そして何といふあつさりした蘂(しべ)で
脆いほろほろした悲しげなけはひを
有(たも)つてることでせう

みんな俯向(うつむ)きがちで
空のいろも映さずにゐる花です
幹も葉も古い鉄のやうに健康であるのに
この花ばかりは沈みがちにやつと樹にもたれてゐる
やうだ
思ひなやんでゐるやうだ
清らしげに――

(岩全犀星詩集P158)
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「砂の砦」は戦後の詩集、石原はそれは沈痛な挫折感脈うつ悲愴の詩韻をひびかせていると云っている。「月光月光集」も同趣と云える。こゝでも茶は詩人にとって一種のトランキライザーであった。

春の日の感想(砂の砦)

…………
春はなんと樂しいのだろう
地球はなんとゆるやかにめぐることだらう
不幸はながい闇夜のやうな戰爭の日は去つた
われらの額から惡魔の鐡の爪は去つた
われら今はかなしい敗北の日にあるが
今日古艸の上に坐つて
われらの前にそそがれる
一碗の茶の
なんと香ばしいことだらう

かくて新しい季節ははじまつた
かくて新しい出發の帆布は高くかかげられた
人はいふ 日の下に新しきなし
われらはこたふ 日の下に古きこそなし

ゆるやかに白い雲の飛ぶ
春の日はしぼりたての牛乳のやうだ
まつ靑な空の下で
輝く海に降される新装のヨットのやうだ
(詩全2P437)

門に客あり(月光月光集)

…………
はやく望みを世にすてて
我れは能なき茶飮み蟲
晝は日すがら墨すりて
もの書ちらす反故の間の
粥すすり蟲晝臥蟲
昔都にまなびたる
學のおほかた忘れたり
乏しき才も情感も
すさぶにまかす放埓の
春はみじかく夏はとく

(詩全2P472)

初期(昭和七年)の詩集に「南窗集」がある。四行詩、フランシス、ジャム風。悉く病床の作と云う。

馬(南窗集)

茶の丘や
桔皐(はねつるべ)

梅の花

(詩全1P146)

又「測量船拾遺」の中に「十二月」という会話の形の軽快な詩がある。その終りはひときわ軽口。

 ……………………つまり解りきつた効果を見越して、
僕にはおしゃべりが出來ないんですよ。……子供を
あやすのは上手なんですが。
――そして、いつもそんなに悲しさうにして、私に
ばかり氣ままを云ふぢやありませんか。あなたは私
のお仕事を、たくさん邪魔してゐるのよ。
――さうです。いけませんね!
――あれあれ、こんなにお湯がさまてしまつている
の。熱くしてからお湯を淹れませうね。
――ぬるくたつてかまひません。

(詩全2P123)

芸術院賞が授与された「駱駝の瘤にまたがって」は昭和二十七年の作品、その後三十七年「百たびののち」が刊行され、その中に「茶鼎角」がある。長いけれども省略は出来ない。古志の盧屋に戦後の感慨の深さが思い知られる。

某日(駱駝の瘤にまたがって)

墨をする小さき池に
空靑く花紅し
土用の海はもだせども
朝の聲まづ起る
昨夜茶鼎を其角と命ず
角私語
繟急

(詩全P29)

茶鼎角(百たびののち)

くろがねなればたのもしく
そのこゑさやか
さやさやと夜もすがら鳴るを友とす
ことあげ多しわが友ら
善しを善し惡しを惡しと
憂ひいふ世のさまなれど
ある時は束(つか)ね忘れてわれは倚(よ)る
やつれ釜古志(こし)の蘆屋(あしや)に
うつら聽く遠き潮騒
――嶺の嵐か松風か
たづねる人は近ごろ不在の氣やすさに
さながらや
霜夜(しもよ)のふけの手を膝に
ゆくら旅ゆく心なり
春夏すぎてその夢は
やがて枯野をかけめぐる
鼎(てい)や 茶鼎(さてい)
多謝す汝によりてなり
ひと年これに名を呼びて其角と命じ
その肩にもたれかかりて居眠りし日をこそ思へ
戰さにやぶれた食に飢ゑ
海のほとりをさまよひし日の夜ふけに
うつけ者うつらもの思ふわが癖(へき)はとみに長じぬ
壁にむかひて酒をくみ
ある時は口ごもりいひつ
かのメリケンの輩に敗けでもの戰さなりしよ
聞く人あらば嗤(わら)ふべし
酒つきて涙はおちき
時ふればはた省みてうとましなべて
さるからにとある冬の日の
數奇(すき)をいふ友の來りて
やつれ釜やつれを檢(けみ)し
ねたしとやわが角を
あやしやといふまがひものならばなるべしさもなん
主は知らず
よしあしは卿らにまかす
き旅十歳わが手撫(たな)づ古志の蘆屋の――

(詩全3P195)

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