第二十九回 三好達治―――茶の花十里(3)

株式会社かねも 相談役 角替茂二

又「百たびののち」の中に冬の朝があり、ひよどりをうたっている。その後半の部分が捨てがたい。

冬の朝

………
この國は いま陰鬱な冬のさなかにある
私はその空の凍てついた季節の中心に位置を占める
つもりの男だ
外界よしばらくそこに在れ
私は一碗の澁茶を味ふ
世界中は それからこの國は
私をして一碗の苦茗(くめい)にしづかに はしめるために存
在する
私のまはりをとり圍む

かくいふならば それは手軽な私の獨り合點といふものだらうか
さやう 襤褸(つづれ)をまとつて思想はかくも
軽やかなこと
今日もまたひな曇る冬の朝の快感
彼女は彼女の中心から
ひよどりはまたけたたましく叫ぶ
さうして彼女は 彼女の甘き果實を啄み去つて冬の彼方に去る

三好達治の文学碑は福井県三国町東尋坊にある。(昭和四十三年建立)碑面は多くの人が知るように、小林秀雄、川上徹太郎選の詩がある。それは著名な「測量船」の巻頭詩「春の岬、旅のをはりの鷗どり、浮きつゝ遠くなりにけるかも」である。
そして「春の岬」(ばい)には序詩があり、その終りは次の如くむすばれている。

春の岬序詩

…………茶をすすり煙草ふかしつ
はたうつうつと
かなしびのたへがたかりし
すぎし日をおもひかへしつ
(かのひとも老いたまひけむ)
山川のうつくしかりし
國々のさまをしのびつ
(錢もなき旅もせしかな)
讀む人よあはれと思へ
わがうたはそれらのかたみ
おほかたは情感うせて
おのれにはあぢきなけれど
ただたのむ
いささかのまことを陳べし
遠き日の思出はあれ
(詩全1P258)

詩人三好達治はむろん名随筆家でもあり、天皇制や国語問題を論じて痛快である。然しこゝでは「月の十日」の問題提起の文章にとどめる。

月の十日
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…………
東海道金谷の西佐夜の中山は、海道に名をえた歌枕であるが、ま近な距離が反つて不便なやうな形で、先年以來念がけながら再訪の機を失ひつづけてゐた。再訪といふのも、四十年ぶりで、
…………

夜泣き石の中山の地形前後の國ぶりをたしかめたく私が考へたのは、「馬に寢ねて」の芭蕉の一句末尾の惜辭が年來解しがたく、山本健吉君のやうな専門家の説明を呼んでみてもなほ解しがたく、以前の記憶ではねつから不確かなので、かねがねこの再訪をこころがけてゐた。たしかめてみると、形勢は凡そ私の朧げな記憶の如くであった。さて、

馬に寢ねて殘夢月遠し茶の煙

「杜牧が早行の殘夢、小夜の中山に至りて忽ち驚く」
と前書きした、この句の「茶の煙」はやはりどうもをかしい。いつぞや雜誌「俳句」に掲載の山本君の説では、夜も明けそめてやうやく人寰(じんくわん)を彼方に望んだ思ひ入れをこの句の骨子とするやうな風であつたが、東から早朝發つて「廿日餘りの月かすかに見えて、山の根際いと暗きに、馬上に鞭を垂れて敷里いまだ鶏鳴らず」といふ風にやつてきた芭蕉が、ここに至つて前方に人寰を望む風の地形では、――― この山塊は往時もただ今もさかしく横はり臥してゐて、決してさうではない。

――― 夜泣石の傅説はいつ頃のものか考へえないが、山中に夜盗が身もちの婦人を斬り殺した作り話である。芭蕉の「忽ち驚く」は字面はねぶたまなこを眼ざめたことだが、鼻に迫る山勢をも同時に言外にほのめかしてゐるのでなからうか。とにかく山地にさしかかつてから、村里などは見つからなかつたに相違ない。大井川を越えた後の芭蕉は、どこに一泊したものか、甲子吟行では見當がつき難く、考へ難いが、金谷の外に宿驛らしいものは見つからない狭い地域から出發したことは疑へない。さうして、横はり臥せるものはさしての大山でなくとも、前方に掛川袋井など見透しのつくやうな距離でも地形でもないから、「茶の煙」は、むろん推斷して路傍の所見に違ひがなく、その他に考へようはない。せいぜい谷間を距てた向ふ斜面の樵夫小舎の煙であつたかも知れない。さてその「茶の煙」、この時刻ではどうも私にはをかしく思へる。事實の炊煙を假に茶煙と見たてたといふより外に、その見立ての趣味的な風雅より外に一句に勘どころがなく考へられるからである。どうであらう。そろそろ茶でも嗜んでゐるであらうと推測するには、この時刻、この川中ではどこやら不似合いでなからうかしら。

茶の煙を、製茶の煙ではなからうかといふ人がある。製茶の煙は遠望するに足るほどのものでなささうな上に、それほどの手仕事もこの時刻には少しをかしい。茶の煙を、私はまた一碗の茶のたてる湯氣 ―― それならこの季感にはあふ ― ではなからうかと考へてみた。句は馬上吟ではなくなるのである。三冊子になる初稿は姑らく考慮に入れないで考へてみるのである。句柄が大正昭和ぶりらしくどこやら感じとられるやうであつてなほそれも落ちつかない。やはり、先の見立の句と考へるのが妥當であるかも知れぬ。さうしてさう考へると、趣味家の文人趣味にやや近いものを以て、芭蕉もこの際はやや氣取つたふりでゐるのを承認せざるをえない。前置きに杜牧を假りるのもそのせゐであるかも知れない。以上さまざまな疑問と推測とが、なほ私の胸中に往來してゐる。………
(全10P444)

芭蕉学者頴原退蔵氏の解説(評釈下P279)

【年代】貞享元年。
【解釈】紀行の本文から知られるとほり、杜牧の早行詩によつたのである。『甲子吟行』に添へた素堂の文にも、「さよの中山の馬上の吟、茶の烟の朝けしき、林下に夢をおひて葉の落る時驚きけん詩人の心をうつせるや」とある。詩は「垂レ鞭信(マカセテ)レ馬行、數里未ニ鶏鳴ー、林下帯ニ殘夢ー、葉飛時忽驚 霜凝孤鶴逈(ハルカニ)、月暁遠山横、僮僕休レ)、月暁遠山横、僮僕休辭レ辭レ險、何時世路平」といふので、本文も句も言はばその奪胎にすぎないやうであるが、勿論貞門・談林時代の単なる文句取とは全く異なる。又天和時代のしきりに漢詩調を弄したのとも、その句作契機は決して同じではない。きょうにはまず漢詩があつて、然る後これを俳諧にしようと試みたのである。
しかしこの句に存したものはまづ實感であつた。さうしてその實感に即しながら、詩の趣が句中に生かされたのである。だからこの句の中心をなすものは、あくまでも俳諧的詩境であつて漢詩的詩境ではない。未明に宿を立つて馬上にうつらうつらと暁の夢を追うて居る。と、空には有明の月が遠く仄白く浮び、近くの村里には早くも茶を煮る烟が立ちのぼつて居る。『蒙引』に「鞍上に眼をひらけと、月も烟も夢ごゝろなる、半覺半睡の風情をいへるならん」と言つた趣である。
この現實の感じは正しく俳諧の國のものであつた。「殘夢殘月」から「殘夢月遠し」と推敲を重ねたあとにも、漢詩的なものの姿が次第に形象から情趣として句の中に潜められて行つた苦心が見られる。そして殘夢と殘月との外に茶の烟を見出したのは、何と言つても芭蕉の手柄である。

大石貞男氏の言葉(茶業の周辺)

一読すると、牧之原茶園の暁の風景を思わせるが、おそらく原ではなく小夜の中山に近いところがほとんどであろう。当時、牧之原にはまだ茶はなかったから。
茶のけぶりの意味は、茶を入れる湯をわかす煙か、茶を製造する湯をわかす煙かわかりにくいが興味深い。しかし飯炊く煙というのはわかるが、茶を入れる煙はわからない。やはり朝早くからおきて茶を作るための湯をわかす農家の煙と解すべきであろう。駿河路では茶の時期となると、戦後までこのような風景は続いていた。
(昭46・5)

大石氏は申す迄もなく科学者であったが、一茶の俳句などの話になると、なかなかに文学的素養の深さを示された。
こゝでも湯びく茶の製法のくどい説明がないのが好ましい。

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