第三十三回 太宰 治 ――― 不審庵(3)

株式会社かねも 相談役 角替茂二

「利休と秀吉」についても書き流している。多くの文学者がとりくんだテーマであるが、太宰が本気で取り組んだらどのような展開になるのだろうか。井上靖や野上弥生子のような正統派的なものでない事だけは確か。

「どうして、お前たちは、利休の事を書かないのだらう。いい小説が出來ると思ふのだが。」
「はぁ。」と私は、あいまいの返辭をする。居候の弟も、話が小説の事になると、いくらか專門家の氣むづかしさを見せる。
「あれは、なかなかの人物だよ。」と兄は、かまはず話をつづける。「さすがの太閤も、いつも一本やられてゐるのだ。柚子味噌の話くらゐは知つてゐるだらう。」
「はあ。」と弟は、いよいよあいまいな返辭をする。
「不勉強の先生だからな。」と兄は、私が何も知らないと見きはめをつけてしまつたらしく、顔をしかめてさう言つた。顔をしかめた時の兄の顔は、ぎよつとするほどこはい。兄は、私をひどく不勉強のちつとも本を讀まない男だと思つてゐるらしく、さうして、それが兄にとつて何よりも不満な點のやうであつた。
これは、しくじつたと居候はまごつき、
「しかし、私は、どうも利休をあまり、好きでないんです。」
と笑ひながら言ふ。
「複雜な男だからな。」
「さうです。わからないところがあるんです。太閤を軽蔑してゐるやうでゐながら、思ひ切つて太閤から離れる事も出來なかつたといふところに、何か、濁りがあるやうに思はれるのです。
「そりや、太閤に魅力があつたからさ。」といつのまにやら機嫌を直して、「人間として、どつちが上か、それはわからない。兩方が必死に闘つたのだ。何から何まで對蹠的な存在だからな。一方は下賤から身を起して、人品あがらず、それこそ猿面の痩せた小男で、學問も何も無くて、そのくせ豪放絢爛たる建築美術を興して桃山時代の榮華を現出させた人だが、一方はかなり裕福の家から出て、かつぷくも堂々たる美丈夫で、學問も充分、そのひとが草の庵のわびの世界で對抗したのだから面白いのだよ。」
「でも、やつぱり利休は秀吉の家來でせう?まあ、茶坊主でせう?勝負はもう、ついてゐるぢやありませんか。」私は、やはり笑ひながら言ふ。
 けれども兄は少しも笑はず、
「太閤と利休の関係は、そんなものぢやないよ。利休は、ほとんど諸侯をしのぐ實力を持つてゐたし、また、當時のまあインテリ大名とでもいふべきものは、無學の太閤より風雅の利休をを慕つてゐたのだ。だから太閤も、やきもきせざるを得なかつたのだ。」
男つてへんなものだ、と私は黙つて草をむしりながら考へる。大政治家の秀吉が、風流の點で利休に負けたつて、笑つてすませないものかしら。男といふものは、そんなに、何もかも勝ちつくさなければ氣がすまぬものかしら。また利休だつて、自分の奉公してゐる主人に對して、何もさう一本まゐらせなくともいいぢやないか。どうせ大閣などには、風流の虚無などわかりつこないのだから、飄然と立ち去つて芭蕉などのやうに旅の生活でもしたら、どんなものだらう。それを、太閣から離れるでもなく、またその權力をまんざらきらひでもないらしく、いつも太閣の身邊にゐて、さうして一本まゐらせたり、まゐつたり、兩方必死に鬪つてゐる圖は、どうも私には不透明なもののやうに感ぜられる。太閣が、そんなに魅力のある人物だつたら、いつそ利休が太閣と生死を共にするくらゐの初心(うぶ)な愛情の表現でも見せてくれたらよささうなものだとも思はれる。
「人を感激させてくれるやうな美しい場面がありませんね。」私はまだ若いせゐか、そんな場面の無い小説を書くのは、どうも、おつくうなのである。
兄は笑つた。相變らずあまり、とでも思つたやうである。
「それは無い。お前には、書けさうも無いな。おとなの世界をもつと研究しなさい。なにせ、不勉強な先生だから。」
兄は、あきらめたやうに立ち上り、庭を眺める。私も立つて庭を眺める。
「綺麗になりましたね。」
「ああ。」
私は利休は、ごめんだ。
(全9P160)
さらに読む ↓

太宰の小説にはお茶を沁々とした心境で味わったなどという描写は見当らない。お茶といえば「どこかで、お茶でも喫みましょうよ」といった類が多い。こうした言葉の背景には、昭和のはじめの不景気、所謂る昭和恐慌のさ中、雨後の筍の如く出現した“純喫茶”があったように思われる。以後「お茶でも喫んで」は市民権を獲得、横行闊歩している。ことばが独り歩きが好きな時代、茶が茶にされる事のないように。

乞食学生

「どこかで、お茶でも飲みませう。」私は、熊本君に伺つた。
「さうですねえ。せつかく、お近づきになつたのですし。」と熊本君は、もつたいぶり、「しかし、女の子のいるところは、割愛しませう。けふは、鼻が、こんなに赤いのですから。人間の第一印象は、重大ですよ。僕をはじめて見た女の子なら、僕が生まれた時からこんなに鼻が赤くて、しかもこの後も永久に赤いのだと獨斷するにきまつてゐます。」眞劍に主張してゐる。
私は、ばかばかしく思つたが、懸命に笑いを怺へて
「ぢや、ミルクホールはどうでせう。」
「どこだつて、いいぢやないか。」佐伯は、先刻から意氣銷沈してゐる。まるで無意志の犬のやうに、ぶらりぶらり、だらしない歩き方をして、私たちから少し離れて、ついて來る。「お茶に誘ふなんてのは、お互、早く別れたい時に用ゐる手なんだ。僕は、人から追つぱらはれる前には、いつでもお茶を飮まされた。
「それは、どういふ意味なんですか。」熊本君は、くるりと背後の佐伯に向き直って詰め寄った。「へんな事を言ひ給ふな。僕と、このかたとお茶を飮むのは、お互の親和力の結果です。純粹なんだ。僕たちは、里見八犬傳に於て共鳴し合つたのです。」
往來で喧嘩が、はじまりさうなので、私は閉口した。
(全4P875乞食学生)

短詩

生活。
 
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする 
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつつているのさ
どうにか、なる。
太宰全2P22葉)

薄茶の風景

僕はその日、すぐに庭から六疊の縁側のほうへまはつてみたのであるが、靑扇は猿股ひとつで縁側にあぐらをかいてゐて、大きい茶碗を股のなかにいれ、それを里芋に似た短い棒でもつて懸命にかきまはしてゐたのだ。なにをしてゐるのですと聲をかけた。
「やあ。薄茶でございますよ。茶をたててゐるのです。こんな暑いときには、これに限るのですよ。一杯いかが?」
僕は靑扇の言葉づかひがどこやら變つてゐるのに氣がついた。けれども、それをいぶかしがつてゐる場合ではなかつた。僕はその茶をのまなければならなかつたのである。靑扇は茶碗をむりやりに僕に持たせて、それから傍に脱ぎ捨ててあつた辨慶格子の小粋なゆかたを坐つたままで素早く着込んだ。僕は縁側に腰をおろし、しかたなく茶をすすつた。のんでみると、ほどよい苦味があつて、なるほどおいしかつたのである。
「どうしてまた。風流ですね。」
「いいえ。おいしいからのむのです。」
(太宰全2P231彼は昔の彼ならず)
…………

終りに中野重治の太宰批判がある、これもお茶とは関係ない蛇足

太宰の死について

死ぬ前に太宰は論争をしている。中野好夫、渡辺一夫などを反駁し、志賀直哉を反駁しているが、それを見ると、そこに闘士のたましいが欠けている。相手を反駁しながらその相手に自分を認めてほしいという弱気な下ごころをあらわしている。のみならず、この弱気な下ごころそのものすら認めてほしいという気持ちを出している。

太宰には才能があつた。美しいものを求める心があつた。しかしそれを百姓のように営々と働いてつくりだす鈍重な根気にかけていた。なぜかといと、彼は、彼の軽蔑していた営利的文壇をどこかで恐れていた。
世間から馬鹿にされることを恐れていた。
(中野重治全12P358)

PAGE TOP