第五十二回 齋藤 茂吉 ――― 歌詠みの原動力抹茶(1)

株式会社かねも 相談役 角替茂二

茂吉は山形県生れ、幼年時代から俊才、後に東京青山の齋藤紀一の養子として迎えられた。本業は精神病院の院長、次の歌がある。

青山腦病院
茂吉われ院長となりいそしむを世のもろびとよ知りてくだされよ(茂全歌二P482石泉)

生業
狂人(ものぐるひ)まもる生業(なりはい)をわれ爲(す)れどどかりそめごとと人なおもひそ(茂全歌二P81ともしび)

云う迄もないが、茂吉が広く世に知られているのは短歌の世界の活躍ぶりにある。アララギ派歌人として実相観入を説き、多くの名品がある。
例えば……

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
(あらたま)

最上川逆白波の立つまでにふぶくゆうべになりにけるかも
(白き山)

しんしんと雪ふりし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか
(赤光おひろ)

等々はその道でない人々にも知られている。
多分和歌の中に素人でも感動する何かがあるからだろう。又茂吉には和歌のほか髄質にも佳作が多く、独創的でエネルギッシュな感性の中に人間的な諧謔味が感ぜられる。芥川が推奨する所以であろう。
佐藤春夫は茂吉を「都会人のやうな田舎者、もしくは田舎者のやうな都会人」と評した。加賀乙彦はドクターであって文芸の人、実相観入について次の如く述べている。

実相に観入、すなわち写生という行為は、単に対象を客観的に映しとるだけでなく、対象の本質」を深く探り出していこうとする主観的姿勢をも指しているので、ぼくなんかがわかる用語で言い換えれば、対象をよく観てそこに真実を透視する、堅実なリアリズムの手法であるということになります。

茂吉の「実相に観入」は、一気に全体的な言葉を噴出させ、対象の美を個性的に描きだす気迫に満ちた行為です。それは彼が医学研究でおこなった、長い時間をかけて対象を忠実に記述し、記述した結果を分析し分類し、さらに理論として概念化するという作業とは、明らかに異なった精神のいとなみです。このような境地に到達したのは、彼が真面目な医学者の実績をもつという経歴と深くかかわっているというのがぼくの感想です。医学研究とまったく逆に、一気に全体を目指し、美と個性を不可欠の要件とするいとなみなのです。(鴎外と茂吉)

歌集には「赤光」「つきかげ」等十七冊、歌は一万七千八百、著述に「柿本人磨」がある。これは文化勲章。源実朝の金槐和歌集の評釈もある。
解説には高弟佐藤佐太郎「茂吉秀歌(岩新上下)」が簡潔。

茂吉の抹茶
茂吉の抹茶キャリアはかなり長いにも関わらず抹茶が歌に詠まれたのは一首しか眼につかない。
人には云はむことならねどもいつの頃よりか抹茶(ひきちゃ)のむこと吾ははじめぬ(茂全歌二P697昭10年)

茂吉の飲食については岡井隆の「茂吉の短歌を讀む」が興味深い本ではあるが、飲物としての茶については何も觸れていない。(後記)
ここでは茂吉の私生活に密着していた長男茂太、次男北杜夫、高弟佐藤太郎等の著作を参考にしてみる。いずれも裸の茂吉について述べられていて爽やかである。
父の気短さと怒り易さには家族は随分悩まされた。

勉強中、父は茶をのみに階下におりてくる。父専用のお薄道具(といっても茶杓、茶せん、抹茶茶わんだけ)があった・私の妻が、習ったとおりの作法でやろうとすると、チャッチャッと手早くやってちょうだいと云った。つまり、自分は勉強のため興奮用としてのむのだから、作法はいらないから簡単に早くたのむというわけである。一事が万時で、茶だけでなく、妻は嫁に来きたてはあらゆることで遅い遅いと叱られていた。(茂太・茂太の体臭P12)
コーヒーはむかしから、勉強のときなど、刺激興奮剤として用いたが、この時期になっても、作歌の前などに、コーヒー或いはマッ茶をよくのんだ。しかし夜は絶対といっていい程のまなかった。(茂太の体臭P56)

まだ青山にいた茂吉について、美知子はこう記している。

「一緒に暮らしはじめて、義父は大変敏感な人だということがわかりました。それまでは私は紅茶や緑茶を夜でも飲みましたが、『お茶は歌作の前に点(た)ててくれ』と義父は言っていました。飲むと頭が冴(さ)えて歌がつくれるのだそうです。それで義父に抹茶でも頼まれれば、私が点てていましたが、袱紗(ふくぎ)を帯にはさみ茶道具を出すと、決まって義父は『手早くチャッチャッとやってくれ』と言います。待ちきれないのでしょう。(北茂晩年P136)

以上の茂吉の喫茶の情景を読めば、前段に記した茂吉の歌

「人に云はむことならねどもいつの頃よりか抹茶(ひきちゃ)のむこと吾ははじめぬ」

この歌に一種の抵抗感、違和感、滑稽観など感ぜられないか。
茂吉はスタイリストに見えて、案外含羞の人だったような気もする。

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鰻と抹茶
茂吉の大好物は鰻であり、鰻にからんだ逸話が多い。小池光は次の如く記している。
茂吉は偏執狂的性格の一面が濃厚にあり、食べ物ならとくにうなぎに執着した。うなぎという生き物の中に生命力の根源のような感情を抱き、その生命力をわけてもらうように、うなぎ、うなぎの日々を過ごした。食いも食ったり、日記を開けば、ある時期には三日に一回は鰻重が夕食である。

これまでに吾に食はれし鰻らは仏となりてかがよふらむか 斉藤 茂吉

厳粛そのものに歌っているが、爆笑してしまう。うなぎの仏様とはどんな顔かたちをしているのだろう。いっぺんお目にかかりたい。自分で食っていながら「吾に食はれし」とどこかひとごと然なのも、うなぎならぬ人を食っている。茂吉だけが歌える歌。(日圣うたの動物記)

鰻ほどの好物ではなかったにしても抹茶は茂吉の芸術活動の起動力。日記には抹茶、煎茶がよく出てくる。それ相応の感槪があってもよいではないかなどと思ったりもする。

だが、茂吉の抹茶は早い話が頭の回転のおくすりのやうなもの、茶道の茶という訳ではない。
しかし、そうはいっても茂吉ともあろうものが茶の湯の作法の心得が何もなかったなどと考える人はいないだろう。それは湧き出る和歌の観想を抹茶によってじっくりしたかったからに違いない。そう思いたい。

話は変るが近頃煎茶からてん茶にチャレンジする生産者があると聞く、又てん茶が加工食品に使われそのテアニンの分析も進められているらしい。

抹茶の需給にはよい刺激材料と言える。それにしてもせわしない世の中のこと、頭脳酷使の人々が少なくない。そうした方々は茂吉流喫茶法にあやかれば、よい訳である。また抹茶でなく煎茶の愛好家ならばお好みの茶を自分の手でいつもよりぐっと濃いめにいれればそれでも十分効果的であろう。

尚、茂吉にとってのコーヒーはトランキライザーの意味もあったらしい。次の一首がある。

ものぐるひの命終(いのちおは)るをみとめて來てあはれ久しぶりに珈琲を飲む(全短歌二ともしびP87)

(つづく)

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