第五十五回 井上靖 サンフランシスコ万博(1)

株式会社かねも 相談役 角替茂二

井上靖は戦後の日本を象徴する文化人。ジャーナリスト出身者らしく厖大な著述を書きまくっている。世評の高かったものに「氷壁」「敦煌」「孔子」などがある。日中交流にも尽力。出身地は旭川だが幼年時を伊豆湯ヶ島で過ごした関係で、静岡県人には伊豆の人の思いが強い。長泉町に記念図書館がある。
茶の湯に関する作品としては利休に関するものが多いが、茶道一般についての論述もすくなくない。
(文化勲章受賞 一九〇七~九九一)

以下小説、随筆の中より

私の味覚
私は若い頃自分の舌が少しだけ違ってできているのではないかと本気で考えたことがある。人が美味いというものがさほど美味いとは思えず、自分が美味いと思うものがさほど人の珍重するところとならない経験を持ったからである。

これは若い頃に限らず、現在でも往々にしてそうした場合にぶつかる。私の食物に対する好き嫌いは幼少の頃すでに決定してしまったようである。幼少の時代に食べ慣れたものとか、美味いと思い込まされたものは現在でも美味く、反対に幼少時代に縁の遠かったものとか、あるいは何らかの意味で否定的印象を植えつけられたものは、現在でも私の胃の腑はとかく素直に受けつけたがらない。その点私の舌は頑固で意固地である。

私は伊豆の山奥で幼少時代を過し、しかも祖母の手一つで育てられたので、私の味覚というものはかなりかたよったものになっている。
…………

祖母は毎晩のように晩酌をやった。私はよく祖母のために酒を買いに行った。祖母は「酒で死んだ人はいない」と言っていた。酒というものは幾ら飲んでも酒のために死ぬことはない。若し死んだらそれはそれだけの寿命だったのだ。祖母は本当にそう思い込んでいたようである。この言葉もいまの私の心の中に生きている。

併し、と言って、私は酒飲みではない。祖母は毎晩一合ずつ飲んだが、私は最近自宅で晩酌をやる時は一合では多すぎるくらいである。いま思うと、祖母の方が私より強かったのかも知れない。
祖母はやたらにお茶を飲んだ。小さい炉ばたに坐って、四六時中お茶を飲んでいたような気がする。カワナのお茶がうまいと言って、カワナからお茶を取り寄せては、それ許り飲んでいた。子供の私もそのカワナのお茶を飲ませられた。祖母は私を茶飲み友達にしていたのである。そのお蔭で、私は色が黒くなり、長じて現在無類の茶飲みになっている。
(全23P151) (昭和三十三年二月)

私の一日
…………
昼食は大体摂らない。摂る時は、パンひときれにバターを塗れるだけ塗り、牛乳一杯。お茶は絶えず飲む。机に向かっている時は番茶、煎茶とりまぜて幾杯飲むか見当がつかない。家では、手を叩くと、だれかがお茶を持って来る。
特別忙しくない限り、六時頃一応仕事を打ち切る。夕食は家にいる時は副食物を沢山にする。一日の栄養分をこの一食で摂る積もりでもりもり食べる。日本酒一本、時には二本。宴会でも料理は片端から平らげる。御飯は食べたり食べなかったり。
酒は自宅では白鹿…………
(全23P542)

手を叩けば、お茶が出る。さすが多忙な作家生活。無類の無類のお茶飲みと称される所似であろう。

「氷壁」のはじめに
その時、二階の書斎で夫の教之助が手を鳴らしている音が聞えて来た。
「はーい」
と、二階へ聞えるくらいの返事をしておいて、そのまま台所へはいり、そこで番茶を大ぶりの湯飲茶碗に入れた。教之助は茶が好きで、一日家にいる時は、美那子は何回となく二階の書斎へ茶を運ばなければならない。それも煎茶の濃いのである。よくもこんな濃いのが飲めるものだと思うくらい濃くいれないと気に入らない。しかし、いまの場合は番茶である。朝食前だけはさすがに煎茶はきつすぎると見えて番茶を飲んでいる…………
(全11P426)

美那子は階段をもう二、三段で上りきるところで、ちょっと立ち停まって、茶碗の内部を上からのぞいた。大きな茶柱が一本立ている。
…………

とっさに美那子は右手の親指と中指をそろえると、それで茶碗の中の液体の表面から一本の茶柱をつまみ出した。
美那子はぬれた指先を白い前掛けでふくと階段を上り、夫の書斎へとはいって行った。
…………

「少し葱臭いな。このお茶」
その声で、美那子ははっとして振り向いた。教之助は茶碗を鼻先に持って行って、においを嗅ぐようにしていたが、やがてそれを口に持って行こうとした。
「においます?」
「うん」
…………

「指に葱のにおいがついていたんだな」
と言った。
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電 話
「僕だがね、何だい?」
初めて、こちらに向き直った様子である。
「心配になりましたの」
「なにが」
「今朝、茶柱を指でつまんだことご存知だったんでしょう」
暫く間をおいてから「うーむ」と、教之助の肯定する声が聞えて来た。
「見ていらしたんなら、叱って下さればよろしいのに。いやだわ、あんなおっしゃり方!葱くさいなんて」
美和子は言った。美和子としては珍しくとげとげした口調だった。すると、相手は驚いたのか暫く黙っていたが、やがて低い笑い声が美和子の耳にはいって来た。
「いいじゃないか、そんなこと。どっち道悪意があってしたことじゃない。茶柱だかゴミだか知らんが。そんなものを取ろうとしたんだろう。そのために指さきがちょっと湯に触れた。―――まあ、仕方のないことだろうね」
「そうでしょうか」
(全11P429) (茶柱は美那子の昔のアフエアの暗示)

点茶の情趣三景
―――雪が降ると、
一、残念ながら、いまの私には、雪が降っても、さして特に記すことはない。家人が点ててくれる茶を庭に面した縁側に坐って、飲ませて貰う。庭にも雪が降り、机の上にも雪が降り、原稿用紙の上にも雪が降っている。わが心にも、それから、また、八十代というわが年齢の上にも、しんしんと雪が降っている。
(全1星闌干P429)

…………
二、わしは暫く机の前に坐っていた。オウスを点て、菓子なしで一服飲んだ。古い萩碗の茶碗(これはわしの古稀の祝いの時、名も知らぬ学生が、留守に玄関に来て黙っておいて行ったものだ。わしはこの学生も、この茶碗も気に入っている)を胸もとで静かに傾けると、濃緑の液体の小さな泡沫が、静かに茶碗の壁をひいて行った。
(全2比良のシャクナゲP12)

…………
三、殊にお茶は、やかましい点前には辟易したらしく、ほんの僅か通っただけで投げ出して仕舞っていた。
「お茶のお師匠さんて、邪慳なものね。平生は優しいんだけど、お稽古となると、意地悪い眼できゅっと睨むわよ、撲たないばかりよ。余程撲ちたいたいのを我慢しているのだと思うわ」
そんなことを私に言って、
「あんな時の女の眼って、何でしょう、あれ」
それでも、彼女は時々、家で、父や私のためにお茶を点ててくれた。縁側で庭の青葉を背にして、一応きちんと坐り、お茶を点てている姿は、見るからに明るい良家の娘であった。
(全3あげは蝶P353)

ダージリン風景
気が付いてみると、いつか山の斜面はすっかり茶畑で覆われていた。ダージリン紅茶の茶畑なのであろう。茶畑が見え始めた頃から霧が流れ始め、寒気が厳しくなって来た。やがて、くるまはカルシオンという山巓近いところにある集落にはいった。山全体が茶畑で、その茶畑の中に集落は嵌め込まれてあった。

…………
集落も、駅も、霧に包まれているが、いかにもダージリン街道の宿場町という感じで、町外れの路傍には四八六八フィートと記した標示柱が立っている。
カルシオンを過ぎる頃から全く霧の中のドライブになった。

…………
時計を見ると、バグドグラを出てから二時間半経っていた。いよいよ霧は深くなり、全く視界は利かなくなった。集落という集落は霧の中に包み込まれてしまっているが、それでも何とそこそこへはいって行くと、集落であることが判った。

…………
やがて運転手が何か叫ぶので前方を見ると、渓谷を隔てた向うの山の斜面に人家の密集しているのが見えた。ダージリンの町であった。山の大斜面に人家の密集地帯が絨毯でも拡げたように垂れ下がっている。町のたたずまいは水で洗われでもしたように鮮明であった。そしてそれがふいに現れたことと、霧や山を下にした高処にあることで、どこか天界の城でも望むような思いがないではなかった。私はこれがダージリンの町かと思った。私が多年何となく頭に描いていた町とはまるで違ったものであった。
(全7P342)

小説「わだつみ」
「わだつみ」は井上靖がライフワークとして書きはじめた日本とアメリカと云う大きな構想だったらしい。だが岩波から第三部迄出版、以後は未完の侭で終わってしまった。物語りの中で最初の「わかまつコロニー」の話と一九一三年のサンフランシスコ万博の話はいささか茶に関係がある。

わかまつコロニー
日本人北米大陸移民の先駆はドイツ人エドワード・シュネールに率いられて渡米した東北の農民二十名の一団である。一八六九年(明治二年)のことである。これより一年前の一八六八年に百五十三人の日本人が移民としてハワイに渡っているが、大陸への移民はシュネールの一団を以て嚆矢とする。
シュネールの一団はサンフランシスコからサンホーキン川に沿って遡り、サクラメントに到着、そこの風土気候が日本に似ていることを知って、開墾地をその附近に求めることを決意したのである。
…………
彼等は柑橘、甲州葡萄、茶、桑などの苗を日本から持って行ったが、そうした樹木は彼等が夢を託した異国の地に生い育って、百年の歳月を経て現在大樹になっている。
(全18巻)

この集団移民は僅か一年で解散、全くの失敗に終わった。一見簡単に見える茶の木と云えども十分な栽培上の知識、技術がなければ異境で成功する筈はなかった。もっとも小説の解説者曽根博義はこのコロニーは史実として確定されないと記している。

(つづく)

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