食べ物エッセイスト 小日向 舞さんエッセイ

食べ物エッセイスト 小日向 舞さん

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私の「モーニング緑茶」薫風

寒くなってきた。近頃は朝ごはんを食べ終わっても、部屋の暖房は効いていないし、頭も体も寝ぼけたまんまである。寒いのが大嫌いな私の場合、冬は毎朝、「冬眠」から目覚めるためのひと工夫が必要だ。そんな私の最近の日課は、朝ごはんの後、テーブルの上の皿を、とりあえずぜんぶ流しへ運んでしまってから、ゆっくりと薫風をいれて飲むことである。

今年の秋に、静岡市内の古道具屋さんで衝動買いした南部鉄器の急須は、とても小さなもので、せいぜい215ccほどしか入らない。それに、大さじ2杯の薫風の葉を入れて、待つこと二分。私の好きな濃さのお茶のできあがりだ。

急須同様、これまた小さな湯飲みに注いだお茶は、まずは香りを楽しむ。湯気を吸い込むと、鼻の奥の方で、ほのかにジャスミンに似たような香りが「ほわっ」とする。とはいえ香りは一種類だけではなく、言葉では言い表せないような、なんとも複雑なお茶の香りが、何層にもなっている。

ひととおり香りを楽しんだあと、猫舌の私は少し冷まして飲む。味もやはり、香り同様「複雑」である。実はこの薫風、100グラム500円であるが、ほかの店で買った同じ値段のお茶と比較すると、ぜんぜん違う味がするのだ。

実際に飲み比べをしてみると、某メーカーの100グラム500円のお茶は、なによりまず苦みが全面に出ていて、渋みもきつい。そして旨味がない。味はまるで、上の方だけ妙に熱くて、底の方は水のままの風呂のように、ぱっくり分かれた層になっているような感じがする。つまり、上にある苦みの層が、茶の味全体の表面を厚く覆っていて、その下に、苦みよりは薄い渋みの層がある。そしてその下には、なんと味が全然ない。つまり、お茶そのものの味は、いくら濃く出しても薄いのだ。これでは、旨味を感じる前に、苦すぎて飲むことができない。お茶の味を語るには、まだまだ未熟な私ではあるが、このたびは、こういうお茶を「不味い」と言うのだと学習した。

一方、薫風は、それとは大違いで、苦み、ほのかな渋み、数種類の旨味が、ほどよく混じり合っている。それぞれの味の層は薄く、どの味の層が一番上にあるというのではなく、それぞれの味が、何層にも、重なり、絡み合っている。それが全体として、まるい、やわらかい味を形成している。正直、これほどの差は予想していなかったために、私自身かなり驚いた。

窓際の日向で新聞を読みながら、薫風をひと口ひと口ふくんでは目を閉じると、なんとも幸せな気分になる。二杯目からは、少々苦みがきつくなるが、それもさきほど挙げたお茶の苦みとは、全く異質なものである。なんというか、刺激的ではなく、味の層の下の方から、じわじわ感じられるような深い苦みなのだ。苦いのに、不思議なくらいそれがイヤではなく、むしろ病みつきになるほどである。

少しずつ苦くなるお茶を飲んでいると、徐々に目が覚めてくる。カフェインもいい塩梅に効きはじめる。新聞も、読みたいところをほぼ読み終わり、「ぼちぼちほかのことをしようかな」と思うころに、ちょうどお茶はなくなる。
私の冬の朝は、こんな風に、ゆっくりと始まる。お茶があれば、寒い冬も捨てたものではないかもしれない。

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