掛川茶の歴史

広重「大井川連基渡之図」

広重「大井川連基渡之図」

松尾芭蕉には次の句があります。
「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」 ※ 野ざらし紀行小夜の中山(掛川市日坂小夜の中山)[1684年 41歳]

明治になり広く茶園の開拓が始まりました。江戸時代には大井川には「橋」は架かっておりませんでした。
そのため、大井川東側島田宿と西側金谷宿には多数の川越人足がおりました。

明治維新の大変革に、旧幕臣の侍達はこれらの人々と共に、金谷牧ノ原及び掛川市日坂に入植、多大な苦難を経て茶園を開墾しました。これが牧ノ原大茶園、掛川市日東地区茶園と由来です。
とりわけ、徳川幕府の御料林であった掛川市日坂御林地区は豊かな地味に恵まれ、今日良質茶の産地として名声を博しております。

茶箱の装飾版画

明治初め頃の日本の主な輸出品目は絹と茶であり、当時貴重な外貨収入でした。
輸出の際、茶箱に貼っていた版画は、当時印刷機が無かったため、手作業で一つ一つ刷っていました。

当時、お茶は高級品として丁寧に扱われていました。

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