松尾芭蕉には次の句があります。
「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」
※ 野ざらし紀行小夜の中山(掛川市日坂小夜の中山)[1684年 41歳]
"茶のけぶり"の解釈は幾つかあります。
さて、明治になり広く茶園の開拓が始まりました。
江戸時代には大井川には”橋”は架かっておりませんでした。そのため、大井川東側島田宿と西側金谷宿には多数の川越人足がおりました。
明治維新の大変革に、旧幕臣の侍達はこれらの人々と共に、金谷牧ノ原及び掛川市日坂に入植、多大な苦難を経て茶園を開墾しました。これが牧ノ原大茶園、掛川市日東地区茶園と由来です。とりわけ、徳川幕府の御料林であった掛川市日坂御林地区は豊かな地味に恵まれ、今日良質茶の産地として名声を博しております。
掛川市日東地区は昔から優良茶産地として有名でありますが、「茶の蔵かねも」ではその中でも特にうまい茶づくりに執念を燃やし全国品評会でしばしば農林大臣賞の栄誉を獲得された篤農家の方々と緊密に連絡、契約栽培をいたしております。この地区の篤農家は毎年茶園に野山の草を刈り、これを茶樹の根本に敷草として敷きます。ひとつには、雑草の繁茂を防ぎ、敷かれた草は時間に経過とともに土に還り、有機質の肥料になります。こうして永い年月の経過とともに茶園の土は豊になります。
粟ヶ岳の斜面には「茶」の大文字があります。東山地区の共有財産である粟ヶ岳の南東斜面に「何か地元のみんなが心をひとつにできるようなモニュメントをつくりたい」という話が発端で生まれたものだそうです。昭和22年~23年ごろ、当初は松で描かれましたが、松喰い虫にやられ、後に虫害に強いヒノキで作り直されました。掛川市の記念碑のひとつです。
希少品種である深むし茶「おくみどり」、「あさつゆ」は御林地区で栽培されております。
浜松市天竜区春野町
掛川市より北部にある海抜500mの山紫水明 風光明媚な高地にあります。この地域は平地に比べ気温が低く、5月中旬に茶葉が摘採されます。寒暖の差が激しく、香気の良いお茶ができます。
2009年の春には春野町に、有機栽培に転換中のかねもの契約茶園ができる予定です。